お米を食べなくなった日本人 | 福運おいでよ@宝地図

お米を食べなくなった日本人

宝地図ナビゲーターの

みぽりんです。


震災で大打撃を受けた農業


しかし、政府は もっと多くの

減反を指示しているらしいです。

(新潟 減反で検索)


お米を作っては いけないのが減反政策

秋田も 米を作らない田んぼが

毎年増えています。


稲作農家は

減反をすると補助金が貰えるのですが、

規定があります)

いろいろと論争されています。


長い昔話になりますが、



秋田には昔、琵琶湖の次に大きかった

八郎潟がありました。

この八郎潟を干拓し、

食糧基地にする計画がはじまりました。


当時、最新の土木技術と、

7年の歳月543億円の国費をかけて

47年前

昭和39年9月 ついに干陸に成功、

約1万6千haの土地が新たに誕生しました。


それは それは壮大な眺めです。


この大潟村で農業をする人の募集がありました。

第一次募集では

定員58名に対して

全国各地から615名、

10倍を超える応募があったそうです。

親戚のおじいちゃんも行きました。


第5次募集まで計580戸が入植したといいます。


しかし、数年後

大きな問題になったのは

『減反政策』


豊作が続き、お米が余ったので、

「生産調整」という名で 
突然の 「つくるな」 という 命令


お米を作る為に全国から集まった人にも

大変なことでした。

その後、

減反政策は40年以上も続けられています。


お米を食べなくなった 日本人。

なぜか?????


それはパンを食べるようになったから。


その裏事情とは・・・。


敗戦後、アメリカが 

給食にパンを無償で提供してくれました

そして、

日本人は パン食に切り替わっていきました。

それは戦後のアメリカの政策だったと言われています。


当時、マッカーサーが、


今のうちに日本人にパンを食べさせておけば、

子ども達が大人になった頃にパンがあたりまえになる。

そうすれば小麦粉をアメリカから輸入するようになるから

アメリカは輸出で儲かる。アメリカは安泰だ

言っていたと 、どこかで読んだ記憶がありました。


今回の震災後、

開店前から

パンを求めて並ぶ長蛇の列を観た時、


パン食は当たり前になる

はッ と、

その言葉を思い出しました。


そのとおり。




福運おいでよ@宝地図


2/23日放送の「鶴瓶のゆるーい会議」によると、


アメリカは戦後、財政を圧迫するほど

小麦が大量に余っていて、倉庫代だけでも

莫大な費用だったそうです。


そして、食料不足に悩んでいた日本へ小麦を寄付

これは戦略だったと言います。


将来にわたって日本に小麦などを輸出し続けるために

洋食文化を広めるため

日本の学校給食に

小麦を寄付しても良いと打診したそうです。


戦後、出産ラッシュにより国内の人口が増加し、

食料不足に悩んでいた日本政府は

この申し出に飛びついそうです。

 

小麦のプレゼントと同時にアメリカは、

ご飯に対するマイナスキャンペーンも行いました。


「米にはビタミンがない」

「米を食べると太る」

「米食の民族は、パン食の民族よりも劣等である」

と、学者さんたちも言っていたそうです。


私自身もお米に対するマイナスイメージは

かすかに、残っています。


主食がパンだと

副食は牛乳製品・卵製品・肉製品等になります。

それらの畜産物を飼育するエサとなる

トウモロコシや大豆なども

同時に輸入されることになったようで・・・


GHQの政策通り、日本はパン食になりました。

それで、アメリカの経済が安泰かは、わかりませんが・・。


個人的には

パンを食べたい時にはパン

ご飯を食べたい時にはご飯


一消費者として、ささやかに選べる幸せを

のほほ~んと

享受しています。


お米からパンが作れるホームベーカリー

ゴパンは画期的であり

今でも大人気のようです。



アメリカの戦略であろうが

なかろうが、

美味しいパンは美味しいです。

日本に、あることが嬉しいです。


それでも我が家は

ごはん党 

ご飯が主役の座にあります。



いつの時代にも 

誰かがどこかで

戦略として 

時代を作っているのかもしれません。


震災前は 平和すぎて

そんなことは

あまり考えることもなかったな~と

思います。


世の中は

沢山のドラマで溢れているな~と思う

今日 この頃です。



福運おいでよ@宝地図


長々と書いてしまいました。

ご訪問頂き ありがとうございます。





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