僕は昔から要領が悪く不器用で、周りの人と比べてはコンプレックスを強めてきた。
「自分は劣った人間だ」
「自分ばかり損をしているのではないのか」
「物事を理解できない頭の悪さにうんざりする」
など、自分への価値観は最悪なものばかりだ。
こうした自己イメージは、育ってきた環境によって作られたものでもあるのだが、
最終的に確立させたのは紛れもなく僕自身なのである。
「自分とはこういう人間だ」と決めるのは、思春期の自我の形成を経て作られてくものだと考えられている。
しかし、そのほとんどは自我の錯覚であり、「本当の自分」とは言えないものである。
周りの環境から影響を受けて、自分とはこんな人間なのだろうと勘違いをしていく。
よくよく自分を観察していくと、「本当の自分」なんてものは存在しないことに気づく。
自分とは、他人と自分を区別するために便宜上、作られた記号のようなものであり、
完全オリジナルの自分、意識、肉体もなく、自分という存在などありえない。
だから、僕が持っているコンプレックスも、実は存在しない幻想なのだ。
そんな幻想に今でも悩まされている僕がいるのだが、
自我を消していくことが、安らかに生きていく道だと理解している。
自分らしくを確立していくことと、自我を消すことは相反する考え方におもえるが、
間違った自分を消していくことは心の平安を保つには必要な取り組みだと考えている。
環境や教育、文化から作られた自分らしさに、僕は嘘を感じるからである。