なんか最近、人と深く付き合うのがめんどうになってきた。
前はあれほど恋愛がしたいと思っていたのに、今ではからきし。
めんどくさい、というか怖いのかもしれない。
本質が見えないことが怖い。
人を評価するとき、俺らは見えている様々な情報を元に判断もしくは推測をする。それはつまり、その人がそのように「見える」だけでしかない。その本質はどうやっても理解ができるものではない。
「優しい人」なんて存在しない。存在するのは「(自分にとって)優しく見える人」だけである。
人の優しさ(ここでは援助行動)における研究では、人を援助する際には利他的(もしくは愛他的)動機は存在しえないとされている。
人は対象者に純度100%の自己犠牲精神を持って奉仕することはありえない。
それは、100%の奉仕すらも、自己満足である可能性があるからである。求められれば答えなければならないという信念を社会的責任というが、そういう信念が奉仕を行わせているわけであって、そうしなければ「私は求められれば答えれる優しい人だ」というような自己像との摩擦が不快感を喚起する。ゆえに人は援助するのだ
そうやって見ていけば、人生など所詮自己満足の産物ではないのかと思えてくる。
まぁ、これですらそう「見える」だけなのかもしれないが。
これでは循環論になるので、この話はこれで終わり。
一つ。見えるものの中でしか生きられないのは、ある意味では究極に自由なのかもしれない。そう、使い古された言葉だが「モノは考えよう」だから。
以上、駄文。