矢口真理さんの浮気・不倫から離婚、安藤美姫さんの出産(未婚・シングルマザー・父親不明)について、世間では一部でなにかと、古い慣習と伝統に基づきしがみつき、烏合の集のように騒いでいるので、それらについて、恋愛、結婚、家族・子供、性などに関連する文章をメッセージから転載します。


耳のある者は聞きなさい。。。



よろしかったらこちらもどうぞ。以前のブログに書いた関連する記事です(一部は今回も流用転載)
・恋愛について
http://ameblo.jp/emon36/entry-11492694604.html


------
●【真実を告げる書(弥勒菩薩ラエル著)PDF版P129~より一部転載】
――結婚制度はあるのですか?
「ありません。女性も男性も自由です。ふたりで暮らしたいと思えばそうできますが、この関係は好きな時に解消できます。私たちは皆、お互い同士が愛し合っていますので、嫉妬することはありません。誰もがあらゆる物を持っていて、所有制度というものがないからです。…【真実を告げる書(弥勒菩薩ラエル著)PDF版P129~より一部転載おわり】


●【真実を告げる書(弥勒菩薩ラエル著)PDF版P238~より一部転載】
 私たちの創造者たちは、使用するために私たちに五感をお授けになりました。鼻は香りを嗅ぐために、目は見るために、耳は聞くために、口は味わうために、指は触れるためにです。私たちの周囲にあるものはすべて、私たちが楽しむために創造者が置かれたのであり、それらをもっと良く楽しむために、私たちは五感を発達させなければなりません。
 官能的な人というのは、無限と調和する機会をより多く持っているものです。官能的な人は、瞑想や反省をしなくても無限を感じるからです。その人は瞑想を反省により、この調和をさらに深く理解し、周囲の人々にもそれを教え広めることができます。
 官能的であることは、私たちの住む環境から喜びを引き出せることです。性教育も極めて重要ですが、それは器官の技術的機能と、その有用性を私たちに教えるだけです。一方、官能教育では、人はいかにして、その器官から、喜びを得ることができるかを教えなければなりません。そして、その場合には器官を、必ずしも固有の目的である実用目的のために使うことを求めずに、ただ喜びのみを求めるのです。
 性について、子供たちに何も言わないのは良くありません。何のために器官を使用するのか説明してやるだけでも良いのですが、それだけでは十分ではありません。子供たちには、喜びを得るためにはどのように器官を使用するべきかを、説明してやらなければなりません。
 何のために器官を使用するかを説明するだけでは、音楽はリズミカルに歩くために使用されるとか、字を習うのは苦情の手紙を書くためであるとか、映画は視聴覚教育のために使用されるとかいうようなものです。幸いなことに、芸術家たちのおかげで、また五感が目覚めてくれたことで、私たちは喜びを与えるためにだけ創られた作品を見たり、聴いたり、読んだりすることから、喜びを得ることができるのです。
 セックスについても同じことです。それは自然の必要を満たしたり、再生産を保証するためにだけあるのではなく、他人と自分に喜びをもたらすためにもあるのです。科学の発達のおかげで、私たちは、肉体を見せることが「罪」であり、性交は妊娠という懲罰をもたらすと考えた時代から、ついに脱け出すことができたのです。
 今や避妊技術のおかげで、私たちは結婚や子供を産むことを考えることなく、自由に性の結合を楽しむことができるようになりました。
 子供たちにこのすべてを教えることに、後ろめたい気持ちになる必要はありません。それどころか、愛情を持って、彼らが幸福になるために、そして十分に開花するために、すなわち彼らの五感のすべてを思い切り活用して、人生を楽しむために生まれて来たのであることを、説明してあげて下さい。
 裸になることも、決して恥ずかしがってはいけません。私たちの創造者たちによって創られた人間たちが、彼らに与えられた姿態を恥ずかしがっているのを見ることほど、創造者たちを不愉快にさせるものはありません。【真実を告げる書(弥勒菩薩ラエル著)PDF版P238~より一部転載おわり】


●【真実を告げる書(弥勒菩薩ラエル著)PDF版P241~より一部転載】
 望んでもいないのに誤って子供を身ごもった場合は、科学が提供する方法、つまり妊娠中絶を利用して下さい。妊娠の瞬間に望まれていない子供は、開花された人間になることはできません。調和の中で作られたものではないからです。中絶は、肉体的にも道徳的にも好ましくない結果をもたらすと言い触らして、あなたを脅かす者たちの言葉に耳を貸してはなりません。中絶も有能な人の手で施されるなら、不幸な結果を招くことは何もありません。逆に、望まなかった子供を育てることの方が、あなたに肉体的・道徳的な悪影響を生じさせることになり、それは、あなたがこの世にもたらした子供にも及んで、子供も苦しむことになります。
 子供を持つということは、必ずしも結婚するとか、男性と一緒に生活することを意味するものではありません。すでに多くの女性が、結婚したり、男性と生活することもなく子供を育てています。
誕生の瞬間から一個の人格である子供の教育は、必ずしも両親によってなされる必要はないのです。ある種の両親に任せるより専門家に任せた方が、子供の開花のためには、はるかに好ましい場合が多いのです。
 男性と一緒に生活することなく子供を持ちたいと望むなら、望みのままにして良いのです。他人の思惑などは気にしないで、望みのままに自己を開花させることです。
 でも、そういう生き方を選んだからといって、一生を独身のままで過ごさなければならないと考える必要はありません。好ましい男性が現れたら、喜んで迎え入れれば良いのです。男性は、子供のためには男の実例となります。
 そうするうちに、ひとりの男性と一緒に生活するように決めることもできます。それは、子供にとって何も問題にならないばかりか、むしろ子供の開花に役立つものです。環境の変化は、子供にとっては常に良い結果をもたらすのです。
 社会は、両親の望みに従って、子供の教育の一部、または全体を引き受けるように組織されるべきです。働きたいと思う人たちには、その子供たちを有能な人たちに預けられるようにすべきで、自分の子供を有能な人たちだけの手で教育を受けさせたいと望む人たちには、そのために作られた施設に、子供を完全に委託できるようにするべきです。
 そうすれば、望んでいる子供を作ったものの、その後相手と別れたり、また他の理由で、もうその子供を育てたくなくなった場合に、その子供が開花するのに必要な調和の中で、社会が育てられるように、子供を社会に預けることができるわけです。存在することを真に、あるいは強く望まれていないような環境に育った子供は、開花することができないからです。
 子供と大人は、相互に影響し合って開花するものです。少しでも厄介者になると、子供はそれを感じ取り、そのために彼の人格の開花は影響を受けます。子供が側にいること自体が開花であるかのように、あなたの心を動かす場合にだけ、子供は側に置いておくことです。
 そうでない場合は、子供の開花のために、社会が用意すべき施設に入れてあげることです。そのことを後悔する必要は少しもありません。それどころか、あなたよりも有能な専門家の手に子供を託せることに、深い喜びを感じていいのです。
 そして、子供が望むなら(何よりも子供の希望を優先して考えなければなりません)、定期的に子供を訪問してあげることすら可能です。子供の教育者たちは、両親が自分たちのために子供を育てるという自分本位の楽しみを棄て、自分たちよりも有能な人たちの手に我が子の開花を託したいという両親の行為を、真に立派なこととして、子供たちにはいつも説明してあげなければなりません。
 ですから、パートナーが欲しければ自由に選んで構わないのです。結婚することは、宗教的にも世俗的な意味においても必要ありません。生きていることは変化することであり、生きた人間が結び合うのですから、石油でも売買する時のように、契約書に署名することはできません。
 従って、他人を所有することの宣言でしかない結婚は拒否して下さい。男性も女性も、誰の所有物でもあり得ません。いかなる契約も、ふたりの間に存在する調和を破壊するだけです。
 愛されていると感じることは、自由に愛することだと感じることです。しかし、契約書に署名をすると、人は愛することを強制された囚人のように感じ、いつの日か、互いに憎み合うようになるのです。選んだ人と一緒にいることが幸福だと感じる限り、共に生活すれば良いのです。
 一緒に幸福に暮らしていくことができなくなったら、いつまでも一緒にいないように。共に生活することが、地獄のように感じられてくるからです。生きている人はすべて変化しますが、まさしくその通りなのです。ふたりの進歩が同じ程度であれば、結合は長続きします。しかし、進歩の程度が異なると、結合はもはや不可能となります。好きだった人も、何の魅力もなくなってしまいます。それはあなたか相手が変化したからです。
 ふたりは別れることで、共に暮らしていた時の思い出を楽しめば良いのであり、無駄な口論から攻撃的になって、思い出を傷つける必要はないのです。
 子供は、自分に合った衣服を選ぶものであり、彼が大きくなれば、その衣服は小さくなり、小さくなって着られなくなったものは、他の衣服と着替えなければなりません。そうしないと、子供はその衣服を引き裂いてしまうでしょう。ふたりの人間の結合も同じことであり、引き裂かれる前に別れなければなりません。
 そして、何よりもまず、子供のことは心配しないように。完全な調和なしに不和な両親と暮らすよりは、どちらか一方の親と調和的に暮らす方が、子供のためには良いからです。なぜなら、何よりもまず、子供は一個の人格であることを忘れてはならないからです。【真実を告げる書(弥勒菩薩ラエル著)PDF版P241~より一部転載おわり】


●【異星人を迎えよう(弥勒菩薩ラエル著)PDF版P160~より一部転載】誰も、他人の所有物になることはできません。私たちは、労働関係、結婚、その他の人間関係でどんなことが起きようと、誰の所有物でもないのです。【異星人を迎えよう(弥勒菩薩ラエル著)PDF版P160~より一部転載おわり】
 
●【マイトレーヤ(弥勒菩薩ラエル著)PDF版P115~より一部転載】

 カップル

 ふたりの人がカップルを作ると、自分たちを周囲から切り離してしまいがちです。私たちはみんな、多かれ少なかれそのような経験をします。カップルは自分たちだけの世界に閉じこもり、各人の個性を失くしてしまいます。各人が、自分を取り巻くすべてのものに開かれたままでいてすべての人と交流し、自分の知性を発達させるすべての刺激を受け取ろうとし、プラスになる出会いをすべて待ち受けようとするのではなく、もうそこには、自分たちカップルの世界しか存在しなくなるのです。そうして、お互いを束縛してしまうのです。
まずは友人から離れ、周りの人々から離れ、あまり外出をしなくなり、何でもふたりで一緒に行い、そして嫉妬が根を生やしてきます。そうしてカップルは、半人前がふたり集まった状態(片割れ同士という言い方があります)で一つの人生を分かち合い、それぞれが半分の人生だけになってしまうのです。ある哲学者が言いました。
 「私の人生は、分かち合うにはあまりにも短すぎる」
 ふたりの中に閉じこもるのは、ふたりを結びつけた愛を無くすのに最も良い方法です。外界から自分たちを完全に切り離し、家に閉じこもっているカップルがいます。そこに、ふたり以外は何も存在しません。子供ができると、それが一番大切なものになります。
 「わぁ!なんて可愛らしくて素敵な子なんでしょう!」
 それ以外のもの、前は好きだったもの、すべてが眼中から消え失せます。
 このような家族はみんなをダメにします。さらにこう言います。
 「私の女、私の子供、私の夫、私の母、私の父」
 所有していることを表現して、愛を限定してしまうのです。その所有からは嫉妬が生まれます。
この所有と嫉妬の二つには密接な関係があります。
 カップルとは、それよりも、もっと美しいものなのです。外部に向かい、開かれたままでいる方法を知って自由に愛し合う、意識あるふたりの素敵な結びつきなのです。愛するとは、私たちの存在が、相手に、より幸せになる可能性を与えることです。私たちの存在が相手を幸せにしないのであれば、喚いたり批判したりせずに、別れる方法を知るべきです。
 私たちというのは、あらゆる誤魔化しを行って、他人の幸せ減少させるために存在するのではありません。例えば結婚制度です。カトリックの結婚式ではこのように言います。
 「良いときも、悪いときも、あなたがたは一緒にいます」
 このことをよく考えたことがあるでしょうか?この文句は、ふたりで一緒になる誓いを立てたら、どんなに最悪な時がきても、「夫婦の絆のもとに」一緒にいるという意味です。みなさんはそれが望みですか?
 愛し合うふたりというのは、最も良い時のために一緒に生きるものです。時には、乗り越えなければならない試練のときもあります。それを一緒に乗り越える楽しみを選ぶこともできますが、そうするかはそれぞれの自由です。
 いずれにせよ、悪い時がやってくる前に、良い時に別れるようにしてください!【マイトレーヤ(弥勒菩薩ラエル著)PDF版P115~より一部転載おわり】


http://ja.rael.org/home
http://www.rael.org/


Message from the Designers
http://www.youtube.com/watch?v=8_FmRZEYa1Q&feature=player_embedded
(※字幕をONして日本語字幕を表示することができます。)


全国各地の「エロヒムのメッセージ」講演会情報が以下のサイトからご覧頂けます↓
http://www.mugendo.co.jp

http://ja.rael.org/rael


弥勒菩薩ラエルが書いた本は下記URLから無料でダウンロードできます。
日本語版
http://ja.rael.org/download.php?list.11
世界各国語用
http://ja.rael.org/download.php
(※「真実を告げる書」と「宇宙人からのメッセージ」の内容は同じです。)


本はAmazonのサイトからも購入できます。

●地球人は科学的に創造された/ラエル著("真実を告げる書"と"異星人を迎えよう"がひとまとめになった本です。)
http://www.amazon.co.jp/dp/4900480355/ref=cm_sw_r_tw_dp_yLM8pb1ZT932E


ひとちりえる☆ラエリアン

●マイトレーヤ ― その教えの真髄/マイトレーヤラエル著 http://www.amazon.co.jp/dp/4900480282/ref=cm_sw_r_tw_dp_FT2hrb02K54B3


ひとちりえる☆ラエリアン-マイトレーヤ―その教えの真髄/ラエル著


-------------------------------------------------------------
■矢口真里、主婦層から嫌悪感…どう挽回? 番組「出すな」メール殺到 http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20130608/enn1306081501009-n1.htm
(以下、上記HPより一部転載)
情報番組デスクは、「テレビ的にはもう、あの騒動は終戦ですが…」と言いつつ、手元の女性誌に目を落とす。木曜日発売の女性セブンの見出しは、〈矢口不倫男の続行愛〉だった。

 今年上半期を代表するスキャンダルとなったタレント、矢口真里(30)の間男との不倫疑惑と、その結末としての俳優、中村昌也(27)との離婚劇。日を追うごとに鎮火するどころか、新たな事実が発覚する。

 「不倫疑惑の相手が『今、矢口ちゃんといるんだ』ということを知り合いに簡単に教えていたことが分かった。そりゃ漏れるよ。お盛んなタレントには『もっと口の堅い相手と付き合え』と誰か教えてやらないと」(週刊誌編集者)

 元夫の中村は離婚発表の週明け月曜日、レギュラー番組で生報告した。“被害者”とも言えるだけに表情は冴えない。それと前後して矢口の古巣「モーニング娘。」の元メンバーがイベントに登場した。当然、その話題に質問が集中する。

 「藤本美貴がグッチのイベントに登場。リポーターが苦しまぎれに『グッチといえば矢口(ヤグッチ)さんですが』を切り込み、ミキティにウケていましたね。ただ、事務所サイドからは、何を聞かれても、『体調を崩しているので心配です』と言うように念を押されているようです。矢口とは対照的に新婚で幸福絶頂の保田圭も、『心配掛けてごめんねって連絡が来ました』と言うのが精いっぱいでした」(芸能リポーター)

 矢口がレギュラー出演していたテレビ局には「出さないでほしい」という主婦層からのメールが殺到。「毎週500通ぐらい来ていますよ」と明かす民放の編成担当者もいた。

 「元気で明るい」イメージで成功してきただけに、とくに主婦層の嫌悪感をどう挽回するか。復帰のタイミングを探る所属事務所の苦悩が続く。


-----------------------------------
■安藤美姫出産 自分の価値観を押しつけて批判すると嫌われる
http://www.news-postseven.com/archives/20130706_198398.html
(以下、上記HPより一部転載)
7月1日、報道番組のなかで安藤美姫が出産を告白した。大きな話題になり、安藤の公式FBには中傷コメントを書き込む人も出ている。他人の生き方にとやかく口出ししたがる「ネット小姑」にどう対処すべきか。大人力コラムニスト・石原壮一郎氏が「安藤美姫の出産にああだこうだ言う人を適当にあしらう大人力」を伝授する。

 テレビ朝日系「報道ステーション」の中で安藤美姫が唐突に出産を告白したのは、今月1日の夜でした。衝撃のニュースに、テレビの前で飛び上がって三回転半ジャンプをした視聴者もいたとかいないとか。3日には安藤から、父親の名前を公表するつもりがないことや、報道の自粛を要請するファックスが報道各社に届きました。

 いろんな考え方はあるでしょうけど、たいへんおめでたいことです。競技者としての迷いや周囲からのプレッシャーなど、乗り越えなければいけない壁がたくさんあったことでしょう。何より、今のように外野からあれこれ言われる羽目になります。

 あなたの周囲にも、安藤美姫の出産に対して、べつに関係ないのに文句を付けたがる人がいるはず。本人は「義憤」にかられて意味のある批判をしているつもりなので、面と向かって「そんなの大きなお世話だよ」と言ったら、さらにムキになって面倒な展開になりそうです。パターン別に、大人としての適当なあしらい方を考えてみましょう。

 まず「いろんな人が彼女をサポートしているのに、出産を選ぶなんて無責任だ」と憤っている人の場合。「ひとりの選手にぶら下がっている側の人たちに、そんなこと言う権利はないよ。やせ我慢して祝福するのが大人の美学じゃないの」と諭したいところですけど、そういう人は会社なり何なりに対するぶら下がり根性が骨の髄までしみ込んでいるので、そんな美学を理解するつもりはありません。「だからこそ競技に復活するわけだし、むしろ商品価値は上がるわけだから、いいんじゃないの」と、ぶら下がっている側に寄り添った見解を述べれば、「なるほど。だったら、まあいいか」と納得するでしょう。

 「生まれたばかりの赤ん坊がいるのにオリンピックを目指すなんて、子どもがかわいそうだ」とか「父親の名前を隠したまま育てられる子どもが不憫だ」なんて子どもに勝手に同情して勝手にいい気持ちになる人も、とくに女性にちらほらいそうです。どんな育て方をするかは、それぞれの親子が自分たちの置かれた状況の中で決めればいいこと。自分の価値観を押し付けて批判するのは、極めて失礼だし傲慢です。

 他人の育児や出産にケチをつけたがる人を見ると「この人、自分が歩んでいる道に不安や後悔があるのかな。その埋め合わせに、自分のライフスタイルや生い立ちを強引に肯定したいのかな……」なんて思いそうになりますが、まさかそんなことは怖くて口にできません。半端に反論しても、地雷を踏むだけです。心の中で「この人も、たいへんなんだな」と同情してあげつつ、あえて無責任な口調で「まあ、それはそれで楽しい人生なんじゃないの」と答えておきましょう。相手は呆れて、早々に話題を打ち切ってくれます。

 どういうパターンにせよ、話がややこしい方向にいきそうになったら、「いやあ、無事に生まれて本人はアンドーしてるだろうね」とダジャレで返しておくのがオススメ。思いっ切りすべってもかまいません。スケート選手の話題だけに。

--------------------------------