これもまた、別の印刷物を作るときの話。

 

今までなかったけど、あったらいいなと思うプリントを作ることに。

案を作り、時間がないから人に託して園の先生に確認をとった。

 

そして、託した人から、

修正点がいろいろ書かれたメールが来た。

先生にも都合があるのはわかる。

でも、結構適当に言ってる感じがする。

 

(なんだよー、簡単に修正を受けてくるなよ~!

なんでこうしたか、直接理由を話したかった!

すごく時間かけて考えてつくっているから、

本当にダメなところしか変えたくない!

でも、自分のための資料じゃないし、

ここは、大人は「はーい、了解」だろうな・・・)

 

しばらく一人でぶつぶつ怒ってた時だったか。

私の中にもう一人の私が現れた。

(わかったよ、あなたのために私が動くよ)

大人の私が小さな私に声をかける。

(!?)

子どものような私が、顔をあげた。

そんなイメージがおりてきた。

 

そして、メールを書き始めた。

どんな思いや意図でプリントを作っていたか、

変更がその意図と反する部分があること、

どうしたらいいか、迷っている・・・と送った。

理屈でなく、これがいい、と思っているところもある。

こんなメールくると思わないだろうな、

困るだろうな、と思って、

ドキドキして落ち着かない。

 

そして、翌朝、先生の要望もくんだ案をメールした。

 

メールしてみて。

嫌だ~と言っているのも、外部と調整を図っているのも私。

でも、受け止め、動いてもらえたうれしさが、私の中に広がった。

私が、喜んでいる。

自己肯定感って、きっとこれだ、と思った。

「自分のいいところ」とかは、関係なく、

どんな自分の思いでも受けとめる自分。

自分のやりたいをキャッチできたことも、うれしかった。

 

さらに、「いいね、その案で進めよう」と相手から返事がきた。

困惑した感じもしない、元気なメールだった。

さらに、うれしくなった。

感謝の気持ちがわく。

相手のすごさに感動する。

 

納得できないまま、「納得した」といったら、

多分、先生のことも、間に入ってくれた人のことも、

私はずっとぶつぶつ言ってただろう。

相手は何も変わらないのに、

好き嫌いの気持ちが簡単に変わることに驚いた。

勝手に人を嫌わずにすんだことが、本当にうれしかった。