ブルーでハッピーがいい。
これは、私が大学時代によく聞いていたカジヒデキさんが作り、ショコラさんが歌う曲のタイトルです。
当時は、いわゆる後期渋谷系全盛期。
キラキラしたギターポップや、裏渋谷系とも呼ばれた少し内省的な音楽。好きなミュージシャンオススメの音楽を辿って新たな音楽との出会いを楽しんだり。私はどっぷりと浸かっていて、今思えば、1つの歴史的な流れの中に自分がいたことに喜びと幸せを感じる自覚もないまま、楽しくてキラキラでカラフルな音楽の世界に魅了されていました。未だに私の音楽の嗜好の基盤にある様に思います。
キラキラでカラフル。私が大好きな音の世界には欠かせないイメージワードかもしれません。音楽を聴く時は、歌詞にも魅かれますが、当時も今も、私は音の世界観から色や光を感じることが多くあります。
キラキラ、は、まばゆく明るいだけではなく、陰をより濃く写し出す光の一面も持ち合わせています。キラキラしているからこそ、光と陰が内包された音に泣きたくなる様な世界観があったり。
そんな世界観の中に歌詞が乗ることで起きる化学反応の様なものは、まるで奇跡の邂逅の様に感じられます。
ブルーでハッピーがいい。もまさに、私にとっては奇跡の邂逅の一曲です。
まず、タイトルからノックアウトでした。私にとって、いまでも、ブルーでハッピーがいい、という感覚は理想と現実の間にある真実みたいなものを切り取った、言葉を越えた人生訓の様な感じです。
ブルーだけでも、ハッピーだけでも人は生きていくのが難しい生き物で、どちらか寄りになるとしても、ブルーでハッピーがいい、は、ちょうどよい塩梅な気がするのです。
キラキラとしたギターポップの音像に乗る、ブルーでハッピーがいい、という言葉はポップなだけではないカラフルな世界の提示を示された様に感じます。
現実を生きる中で、視覚からも聴覚からも感覚的に人はカラフルを感じることが多くある様に思います。踏みしめる落ち葉の色、1日、一瞬たりとも同じ色味や形を持たない空や雲、光。
同様に、人も1人1人がカラフルな存在だと思っています。それは、1人が1つの色を持っているのではなく、1人1人が沢山の色や光や陰で彩られたカラフルを内包している様に思います。万華鏡の様にクルクルと回る日々の中で、色味や光や陰が変化しながら、混じり合いながら、その人の色味が存在するんだろうな、と感じます。
そんなグラデーションでできている自分を、いかに楽しめるか、を私は大切にしたいと思っています。そして、グラデーション同士が出会うことで新たなカラフルが自分にも、相手にも生まれる。
そんなカラフルの連鎖は、カラフルな社会を作れる、と私は信じています。
一側面の色味だけにとらわれたり、切り取られた色=その人の色、と感じたり、感じさせてしまうことは、なんとなくもったいないことの様に私は感じています。自分と向き合う時も、だれかと向き合う時も。
ギャップ萌え、という言葉がありますが、ある人の一側面を見ていて、違う色味を知った時、嬉しくもあったり、もしかしたら残念に思うこともあるかもしれません。
けれど、そんなギャップを楽しめたり、そこから比較的肯定的になにがしかを感じられたら幸せだな、と私は思っています。
ブルーでハッピーがいい。相対する様に見える言葉にはカラフルな人の姿が内包されている様に思いますし、私は人との出会いから自分自身も、もっとカラフルにしていきたいし、だれかのカラフルをもっと見てみたい。そんな風に思っています。
レインボーからカラフルへ。既存のグラデーションから自分やまわりの人のグラデーションに目を向けてみるのは楽しくもあり、ときには辛くもありますが、カラフルの融合は、きっと豊かなものを生み出す、と信じてみるのも1つの見方だと、私は思っています。