
全国にわずかに残る格納庫の中でも、ここは、ほぼ完全な形で、珍しく3棟が連なって建っている貴重な戦争遺跡
しかし残念ながらこの度、周辺の土壌汚染等がわかり、一棟を再利用出来る形での撤去、二棟は、完全解体となります。
見学会に参加された方にお話を伺ったのですが、
ご近所にお住まいのご婦人は、「今住む我が家も戦時中は滑走路だった。この場所からなくなってしまうのは非常に残念」
四日市からいらしたご夫妻は、「戦後生まれだか、年を重ねる毎に、戦争、歴史に興味が湧き、知りたいと思う様になった。この場所に遺跡として残っている意味、目の前にあるからこその意味を考えると、非常に残念」
そして、戦時中この土地で働いていた方、
「久しぶりに中に入り懐かしい気持ちになった。やはりなくなるのは残念」と、
みなさん口々に残念な気持ちを語ってくださいました。
戦時中、敵に対してのフェイントで、バレバレなのに、大きな戦闘機型の凧をあげていた等、初めて聞く様な話も戦争を体験された方から聞く事が出来ました。
戦争をしらない世代が多くなって来た今、教科書や写真等からでしか、戦争を伺い知る事が出来なくなっており、歴史が風化してしまう恐れがある。
目の前に、その当時を物語る物があるか、ないかで、私達の意識も変わるはず。
今までの鈴鹿市の姿、発展を、1から語る上で、再利用される予定の格納庫の有効な保存、活用は絶対であり、平和の象徴として未来に繋いでいかなければいけないと思いました。
年を重ねると、自分のルーツや歴史を追及したくなる、今あたり前にある、過ごす事が出来るのは、その時代に生きた人、歴史があるからであり、全てに感謝したくなる。
ありがとう。