Emma :)

Emma :)

お互いの生活が想像しあえたら、世界はもっと近づくんじゃないかと思いながらどうやったら実現できるかなあと考えている京都の大学生です。
we are different than we feel but similar than we think.

いろんなことに触れるので、意見・訂正など絶賛募集。

Amebaでブログを始めよう!
今日からまたブログを書くことにした!
長さは様々でいいから、1日1つ。

最近はいろんな転機があった。

ひとつは、大星さんと話したこと。
いままで思考停止に陥りすぎてどうしたらいいかわからなかったけど
このままじゃあかんと思って結局言葉にならんまま飲み会のあと
大星さんを連れ出してしまった。

結論、賢くなること。
本を1日1つ読むこと(知識を深めるよりも様々な種類の本を読んで知識の幅を広げる)
賢い人と議論をして思考力をつけること

これはどうあってもやらないといけないことだなやっぱりと思った。
前に比べて少しずつ読書量はあげてるけど
まだまだあげていかなあかんと思った。


つぎに、イエメン事務所の方がきたこと。
すごくわくわくしたのが、自分が調べたことが実際に起きていたこと。
それは自分が話についていけるっていう自己満に近いところもあるかもしれんけど
少なくとも最近の自分にはないブレイクスルー。

ひとつひとつ、丁寧に読み解いていかないと!と思えた。
折しも明日金曜日は久々の何もない日だから、ゆっくり最後まで事務所に残ろう。



最後に、今日はなっちゃんとのイベントだった。

すごく素敵な場所でのイベント。
はじめてのなっちゃんとの共同イベント。

だいぶアットホームな感じでやれたけど楽しかった。

イベント自体も学ぶものというか自分に対する「精進せななあ」ていうのは残ったけど
それと同じぐらい印象的やったんが長倉さんのドキュメンタリー
アフガンのマスードっていう人を追い続けた人の話。

もう少しアフガンについてしっかり調べてたなら知ってたことやろうけど
はじめてマスードを知った私は猛烈に感動。

あんな感じで生きるのは本当に難しい、というか、それにdevoteするだけのものを
結局今日の今日まで見つけぬまま中途半端に理論だったまま今日まできたな。

最後のマスードが原っぱに寝転がっている姿が本当に印象的だった。

最後にね、やっぱりあれだけのときめきや感動を覚えるのは
なっちゃんや、渋谷さんや、けいさんの周りやったりするんやなと実感した。

思い出せて本当によかった。何かを間違えてない。
これを次はどこに連れて行くか。


ちなみに就活をはじめているこのごろです。
自分の中で納得がいった上で。ちゃんと考えれるようになってよかったなあ、我ながら。


すごく元気をもらった。
すごく、前より自信を持って生きている。

がんばろう。

えま。
はてさて。

この1年間ブログを書かなかったことにも現れているように
だいぶ「ことば」に苦戦してきた1年間だったなと思う。

いろんなことが頭をめぐってるんだけど(関西弁が抜けてきた)
とりあえず「ことば」から抜け出そうとしてきたこの1年を Look back してみた。

(1)自分の内側のことば
(2)アンカリングすることば
(3)ポジションをとることば
(4)外から評価されることば
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(1)自分の内側のことば

小学校から14歳までなりたかったものは「小説家」だった。
14歳から18歳は「アフリカで学校の先生」「学校を建てる人」
自分の内にあるエネルギーを表す「ことば」はこんな感じで変わってきた。

でもこの言葉と自分の内にあるエネルギーが、「=(イコール)」で繋がらないと知って
エネルギーを使う矛先を見失ってしばらく。今、びっくりするぐらい「空(から)」。

もっとちゃんと説明すると

そもそも
世の中で起きてる事象に関してAという意見、Bという考察、Cというニュースの事実は言えても
「私が」なにを感じているか。「私が」何を思うかはまったく見当たらなかった。

その空っぽさを補うようにして(そのときは本心だったけど)、これまでぺらぺらと作り上げてきた
「ハーフとして」「国際協力で働きたい人間として」の「えまのストーリー」は
うそではないんだけれども、事実を繋ぎあわせたテンプレート、だったと思う。

ことばがテンプレートだったと気付く瞬間って、
頭の中にあるふわふわと美しいものを、実際に絵にかいてみると「あれ?」と思うときに近い。
自分に表現力がないのか、そもそもアイデアを幻想化していたのか。わからないけれど
自分の内側から沸き上がってきていたように思えていたことばが「かたち」だったと気付いて
ぱったりと魅力がなくなった。

その虚無具合に焦って、いやいやもっと掘り下げれば本当の「ことば」に出会えるはずだ
と思っていたんだけどそんなに簡単じゃなかった。
しばらくことばを見つけられずエネルギーを形容できなくなると
「あら?このエネルギー体って蜃気楼じゃないのかしら」と思うことも増えて
なにやら悪循環の一途を辿っているのが、このごろである。

上に書いたような元々空っぽだった自分を綺麗な言葉で組み合わせていたのが、ひとつ。
もうひとつの要因は原動力が「怒り」だったことかな。
「怒り」って半分は自分の無知からくるってその通りだと思ってて、
最近「怒り」を覚えると反射的に自分を見下すようになった。

「許せないこと」が見当たらない分、怒りも、幻想も、なくなって、結果として言葉もはっきりと枯れた。

(注)昔から言ってる「責任」とか「継続性」みたいな部分は変わってない。
   非常に失礼を承知で、自分が若いうちにそういうのを背負うような活動をしなくてよかったなと心底思っている。
   少なくとも今の空っぽな状態が「ほっと息をつける状態」だと思える私にとっては。

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(2)アンカリングすることば

そんなわけでアンカリングすることばをひたすら避けるようにしてきた。

「ことば」は自分を定義してくれる反面、縛るものでもあると思う。

たとえば「世界を平和にしたい」ために「国連職員になる」はよく聞く方程式で
でもたまに気付けば「国連職員になる」が先行したりする。
「小説家」「アフリカでの先生」を目指してるときはその言葉に向かって遠回りながらも一生懸命がんばってた(と思う)。

思考を整理するために言葉は大事なんだけど、固定化すると次第に味がなくなる。
きっと「本当のことば」を見つけられればすごくハッピーで色褪せることなんてないんだろうけど
見つからないうちは、手短かな答えで、ことばで、自分のエネルギーや将来を絞り出したくない。

つまりその場その場のことばで、自分を組み立てたくない。

だから、「夢はない」と言ってきて
自分のことを紹介するときも、嫌いな食べ物を無理矢理飲み下すように事務的に話すことが多かった。
(愛想とエンターテイメントはあるように心がけた。)
本当のことばが見つかるまでは、結局どんなことばを選んでもたぶん腐っていて気持ち悪いから。

1年、すてきなことば(その元となるエネルギーイメージさえも)見つけられないまま今日まできて
実はもうしばらくは見つからないのではないかな~とも思っている。

14歳から18歳まで走ったあの頃は無知・盲目によって選べた言葉。
少し「知る」ことで自分が無知だと知ると夢やらは語れなくなって、
大学に入れば見つかるかと思えば、結局この4年間、何も見つからなかった。
中途半端な知識と事務作業の能力、すてきな友人が増えた。そしてよく「器用貧乏」と言われるようになった。

「ことば」「夢」に対する理想が非現実なまでに高すぎるのかもしれない。
たぶんこれってものすごくいきづらいし、どこにも進めない時間が長い。

このままでは「どこへでも行ける」けど「どこへも行けない」のだろうと思う。
でもさっさと次の目標や夢を決めること、つまり、ことばのアンカリングを避けて、1年。

「進学」「就活」「○○を目指してる」「○○がきっかけで」…
そろそろ、適当な言葉を選んで、歩き出さないといけないんだろうか。
自分にしっくりくる決断が何ひとつ、見つからない。すてきにモラトリアム( ´°ω°`)♡おほ


▼△▼ここまでは内側の話。次は外側の話。(恐らく全部「内」の話だとしても)▼△▼

(3)外から評価されることば

とか言いながら影でこっそり考えていくはずの予定だったのがTICADがはじまる(笑)

自分の本当のことばじゃないもので、人と争うことも人に評価されるのも多いに癪だった。
プロジェクトやってる間も自分は拡声器で、
自分の疑問や考えも大いに挟みながらスタンスとしては拡声器だった。
だからこの活動やれたよなって思う。

ちなみにTICADに関しては事の大きさを知る前に代表をやると言ってしまった
その裏側には自ら新しい刺激と、JKSCの償いの場を求めていたんだろうな。
(なにも活動をしない半年は腐ってたし、JKSCは未だに後悔が残ってるという意味で)

共同代表だったのでありがたいことに前田にメディア関連はお任せして(ごめんよ)
自分は割と素直なことばを話せる内側の方に集中したような気もする。
あまりにも忙しくて、途中からそれができていたのかもわからないけど。
(ちなみに学生団体の限界に関してはこの方の記事がうまいなと思った http://ameblo.jp/kosukekita/entry-11618835969.html)

さておき。

そんなわけで小さな組織・プロジェクトであろうとも代表となれば
やっぱり自分の発言に気を使わないとなと思ったわけで。

団体内のメンバーに対する「ことば」。
自分が弱ってるとか自分が率いてるくせに組織に対する不平不満とか言っちゃいけん。でてたけど I think。どほ。

外の方々に対する「ことば」。
素晴らしい発見・学びって自分にとって価値があってもそれは相手が「反面教師」になってる場合もある。
そういうのはさすがに書けない。実際別の人のTweetひとつが発展して私と別の人の信頼がばこっと崩れたケースがあった。

「ことば」に対するアレルギーが殊更でてた時期だったからTweerも減ったしブログも書かなくなった。
TEDが終わってからはTwitterのフォロワー数もかなり減って頂いて、少しは清々しく書けるようになった。解放感。

そんなわけでこの1年の大事な部分の考えっていうのは自分の中に留めてきました。
これから少しずつ、少しずつ、出していこうかなと思った理由に関しては、また今度。


(4)ポジションをとることば

最後に、外から見られる「ことば」についてもうひとつ。

ことばを使うことって「ポジション」をとることだと思う。

あなたは原発推進派ね、原発反対派ね…なんかが顕著かなあと思ってる。
ことばじりひとつで「どの」ポジションかが結構わかる/わかられる、ないし、区別される。
「個」がなくなる瞬間が怖い。

自分も知らず知らずのうちに「私はそういう人だ」「あなたはそういう人ね」と分けるのも怖いし
相手に「あなたはそういう人だ」と判断されるのが強烈に怖い。人として認識されなくなることが怖い。



最近すごく「路地裏のひと」の状態に惹かれてる。
誰しも、路地裏にはいって、いろんなことから思考が外れて、ほっとひと息をつく瞬間があると思う。

そしてそのほっとした状態にある人が、何か必要性にかられて、変化を訴えたりする。
そういう「市民」みたいな。普通の人が普通に起こす変化とか、普通の人が普通に暮らす美しさとか。

なにもポジションをとりたくない。なにとも"戦い"たくない。
適度に生き甲斐があって、出来るだけなにも傷つけることなく、
健康で、少しストレスフルで、でもあったかい生活が送りたい。それがきっと路地裏のひとの生活。

いつか内側のエネルギーにまた火がついたら(あと数ヶ月でエネルギーがつかなかったらどうしようかね、ちと怖い)
そのときは全力で戦うだろうと思う。なにかに向かって。

いまはただこの状態をおいしく食んでいたいし、安らいでいたい気持ちもある。

きっとそれはいつかがおーって起き上がる瞬間があるんだろう…と、思ってる。

「起き上がらなかったらどうしよう」とは思ってる。
でもなかったらそれはそれで、I guess that's life という感じに落ち着いてる。

少なくともねじりだした目標よりは、全然いい等身大の人生になると思う。


そんなわけで、自分を組み立てたり回りが組み立てる要素もつくりたくない今の自分でした。

ベジャール、そしてバレエは続く

というドキュメンタリー映画を見た。

このところ「継続」「継承」について考えていた。
ぴったりのタイミングで見ることが出来た。


居住研の合宿の夜
15年続いてきたこの場を絶やしてはならない
という組長の言葉が深く心に根付いている。

半年かけて一生懸命GVを目指す姿勢。

知らない国の相手を理解しようとする姿勢
ボランティアとは、支援とは何か考える姿勢
それぞれの常識をすりあわせたり、人間関係のことを疲れるほど考える半年

ものすんごい労力が使われてるのをいつも感じる。
それが半ば当然のように続いている同志社大学国際居住研究会。

それは言葉を通じて伝わるものではなくて
先輩が実際にワークに共に行き、その姿勢や、熱意を継承してきたからこそ
ひとつの個体のように、細胞が入れ替わって、新しいものを作り出してきた

うちはコア、中心部でそれを行っているわけではないけど
メンバーのひとりとしてその様子を目の当たりにして、圧倒される。


そういう意志の継承みたいなものが今回の映画のテーマでもあった。

ベジャールという(この映画見るまで知らなかったけど)バレエの怪物が逝き
そのあともバレエ団を残そうとする、ひとりひとりの思い

途方もないプレッシャーや見えない未来の中で
それでも突き動かす「後世へ伝えていく使命」「約束」
一丸となってその思いを持てるバレエ団に単純にすごいって思った

その場を一代で、仲間と共に作り上げたベジャールという人間もすごいと思った



私はそういった目に見えないもの、効率性を無視した時の積み重ね
こういうものをずっと軽視してきた。

友情しかり、団体の歴史や姿勢しかり。
頭で理解しているだけでは感じられないものがある気がする。

短期的に結果の見えないものを積み重ねることの本当の意味を理解してなかった
きっと今も心を揺さぶられているだけで、自分を突き動かす原動力にはなってない

でもいつかその力に触れることが出来たなら
何か「本物」を見つけれそうな気がした夜でした。


ちゃんちゃん。




【テスト】
テストが3日に終わりました(´ω`)
Aがいつもよりとれたのでよかった!

平行して団体のことをしたり、遊んだりしてたので
言うほど必死に勉強はしてなかった。
それも総括して今の自分に「ふさわしい」成績が帰ってくることでしょう。


【8月4日:シェアハウス流しそうめん】

この半年はなんといってもExpohouse、Jurack3で生活したこと。


建築専攻の院生、特にシェアハウスを専門にしてる2名が設計して「空間的」
シェアハウスの運営に詳しい小森さんがボスという「管理面」最高に整ってる。

でも何より4月からスタートメンバー9名。
このメンバーひとりひとりが心広いし、きっちりしてるし
それぞれに尊敬する部分があって、ほんまにすごいなあと思う。

日頃から家事もしっかり行って、月1回~2回ご飯会、誕生日会がある。
お互いに声をかけあって人との繋がりの良さを学んだなあ。
同じ家やから面倒な手間ひまもないのがいいんかも(笑)

家庭や、人との接し方について考えた。
あと細かい家事や掃除を気づいたらもうその場でやる!みたいな

前の家でも習ったことと連鎖して黙ってやることの意味を気づかされた。
実家に帰ってちょっと洗い物とか洗濯物とか手伝えるようになった気がする。

さてさて秋からは
2名がアメリカに帰って、新しく3名増える。
次の半期はどんな感じになるのかな(´ω`)



【8月8日、9日:JKSC見送り】

6月まで一緒に活動してたJKSC13期。とうとうケニアへ出発!


きおくがたくさんよみがえった。
11期(2010年ケニア)の直前合宿~成田空港まで同じ流れで行って。
新宿から西日暮里での乗り換えのルートや
成田空港までの行き方とかいろんなこと思い出して。すごく懐かしかった。

てがみ。
13期、ひとりひとりに手紙を書いてんな。
11期のとき、私ももらったこと思い出して。

でもほんまに最低なことに、何も内容を思い出せへんねん。
自分が今、こんなに考えて書いたことを覚えてへんねやろなと思うと
11期のとき自分がいかに人の話を聞いてなかったかがわかった。

あの頃から向き合い続けてもらった人々に、本当に感謝してる。
もらった言葉も大事やねんけど、きっと、割いてもらった時間や姿勢が
何よりの救いなんやろうな。言葉はそれらを乗せている。


【8月9日:同志社国際高校 同窓会】

留学に行ってた人のための第二次成人式!(笑) 80名も集まった!

基本京子にひっついてた(笑)
Facebookでいい顔してた留学してた子らが、目の前でまたええ笑顔してて
なんかすごい懐かしいし、あったかいなあって気持ちになった!(´ω`)

京子のアメブロからぱくってきた(笑)


中高ってなんかグループみたいなんあるやん。
行ってから「JR組主催っぽいから」とかで来ん人もおったって聞いて
へ~と思った(笑)そういうグループ系のやつの気持ちわからんでもないけど
改めてそういう「目に見えへんもの」で
行動が決まったりするのっておもしろいなとか考えてた←

中高で6年間毎日会ってて。今は全員で集まるのは無理にしても
こうして声をかければ集まるのがおもしろいなあ(´ω`)



【8月10日・11日:居住研 合宿】

1日体育祭をしたのはいつぶりでしょうかww
私の運動音痴具合も露呈してしまってなかなか恥ずかしかったです←

大縄、借り物競走、五角形ドッジボール、リレーもあって
そのあとバーベキューして、キャンプファイヤーして
飲み会で3時まで語り明かして(笑)


次の日はネタ大会もとい夏に派遣される5チームの壮行会があり
(フィリピン、バングラ、マレーシア、インド、日本国内栃木)
語り合って解散!

アジア学院メンバーでミーティングをして、家帰って爆睡しました。



【8月12日:やんちゃんばいばいパーティ】

とうとうやんちゃんが明日(13日)に旅だっていきます。
それにあたりみんなでばいばいパーティ(´;ω;`)

これはビビアンの誕生日会の写真だけどね。


なんとも充実しまくった一週間でした。
これからの夏休みは熟考、論文、ミーティングの日々になりそうであります。





金曜・土曜とハーフに関する講演会や、多文化共生に触れたこともあり

日曜日に腹をくくって準備をはじめました。
ハーフの研究をなさってる兵衛さんと、父さんにアドバイスをもらいながら
outlineをガリガリガリっと作成(ほんまに助かりました)

月曜日に本をどっさり買って・借りて、担当教授との調整のためプレゼンして。


火曜日なう。

2冊だけどうにか消化、アンケートを作成して答えてもらってる最中。
明日から期末テストがはじまる中、どうまとめていくかが課題。
卒論を最終地点へと見据えて、今は試行錯誤しております。

アメリカや外に出たらそれなりに変わる気がするし
このトピックにこだわるのもあと2年ぐらいだろうから。


ばたばたやけどなんで今回このペーパーを書きたいなあと思ったのかを
今だからこそ書こうと思いまして
一筆とったわけなんですが…


あれ~?\(°ω°)/ww


それこそ自分の小史を書いてもいいし
自分が思うハーフの現状(みたいなもの)を書いてもいい

のだけど。

むうん。



そうやな。



なんか、ハーフって言っても、ほんまいろんな人おった
びっくりするぐらい意見あわん人と初めてあったし
似た経験をしてる人もおった




ハーフじゃない人でハーフに対して
いろんな羨望や理想を持ってる人がいて、知ってたけど実感してなかった。

でもこの間ともだちに「わたしも外人なりたい!」て言われて
「なりたいんやったらなったらええし、金髪似合ってるねんけど…うーん…」
って、改めてものすごく違和感を持ってしまったり。



一緒に人権とエスニシティの授業を受けてる外国人の友達が

「俺は日本にルーツをもたない外国人で日本語が好きなだけだけど
この数ヶ月過ごして、コンビニで日本語話して驚かれることに
もうすでに疲れてきたというか…悲しくなるよね。びっくりした」

と言ってたり。



「いつお国に帰るの?」「日本語が上手ね」と褒めてるつもりだから
こっちが怒っても「失礼な外国人」「変わってる」で済ませてしまう
そんなハーフじゃない人とのギャップに、なんかすっごく悲しみを覚えたり


「察する文化」はあるのかもしれないけど
話し合いや、相手を理解しようとする文化はない

そんな日本は、私はやっぱり辛いし、
いろんな人が傷ついてるような気がする。




当事者も周りも
バラバラな偏見、バラバラなハーフ観、
バラバラな理想、バラバラな経験があって

こういうものを少しでも知って、自分の中でまとめていきたい。
自分の感情ベースだけじゃなくてもっと科学的に、しっかりデータをとりながら。
じゃないといつまでもぶれそう。

小さなときに感じた痛みや今もちくちく刺さるものが
「何故」「どのように」痛いのか
だから「何」をやめてほしいのか、変えてほしいのか

自分でもわからないものを、相手にもわかってとは言えない
だから近づけるところまで近づきたいと思う


もっと大きな視野から現状を知ることで、
じゃあ自分はどうしたらいいのか考えたい。
結局ポジショニングなのかね。

なんか、うん。そんな感じ


またペーパー書き終わったあとに書く!
どんな気持ちになってるのかな。