親友が旅立って、2ヶ月が過ぎた。
私は、この2ヶ月の間に、急に引越しが決まったり、イモリ🦎🦎という新しい家族が増えたり、息子が思春期に入って、人間的な側面の成長を促す必要性が生まれたりと…
自分の中では、割と変化彩る日々を送っていた。
だが、なんとなく、日常のことをtweetしたりInstagramにアップする気になれなかった。
歳も近く、同い年の息子を持つ彼女がどんな思いで最期を迎えたのだろう…?
それを思うと、たわいもないことを呟くのが、どこか不謹慎に思えてならなかったのだ。
と同時に、私は、ある命題について思いをめぐらせていた。
〝医者は人の「死」に慣れるのか?〟
私は、医師というより、患者さんとしての人生が大半を占め、医療従事者としてのキャリアは少ない。
ただ、〝働き方改革〟が具現化している今とは違って、
15年前は、研修医も割と大事な戦力で、患者さんのお見取りに携わることは日常茶飯事だった。
一番最初にお見取りをした患者さんの時は、研修医一年目の4月。泣いた。病室で号泣した。
年齢的には大往生の患者さんだったのだが、家族に愛されていたおじいちゃまで、ベッド周りを囲むお孫さん達が声をあげて大泣きしているのをみて、涙がとめどなく流れた。
隣に立っていたベテラン看護師さんもやっぱり泣いていて、少しホッとした。
二人目の以降は、お見取りで一度も泣かなくなった。
患者さんがいよいよ…という時期は、実は看護師さんが一番良く知っている。
毎日、病棟を24時間守り、患者さんを預かってくださってくれているのは看護師さんだからだ。
入院中であれば、死期が近づくと、個室に移動させる。
ナースステーションに一番近いお部屋にして、変化を見逃さない。
心拍数が30bpmに落ちてくると、我々研修医は、ナースステーションで待機する。
そして、いよいよ〝その時〟が来ると、病室に行き、
お見取りをする。
〝ご臨終です〟。
私達がこう伝えた時間が、死亡時刻となる。
その科によって、〝しきたり〟は違って、夜中であれ、
主治医として患者さんを受け持っていた上席の先生には一報を入れることが多い。
お見取りの後は、まずは患者さんを霊安室に移し、死亡診断書を作成し、死亡退院の手続きをし…と、短時間にやらなくてはいけないことが沢山ある。
1番最後、葬儀業者がご家族とご遺体を引き取りにいらしたら、医局にいるできる限り多くのドクターと看護師で、最後のお別れをする。
ご遺体を棺に移動させる時が、最もリアルに〝死〟を感じる瞬間だった。
ついさっきまで温かった体は、シーツに包まれもの凄く冷たい。
そして、ナースと一緒に3、4人係で棺に納める為に持ち上げたご遺体はとても重い。
命の重さだ。
命ある生命体が、物体に変わるということの意味を肌で感じ取る。
こうした一連の流れがルーティンとして身につくと、
〝死に対する漠然とした恐怖感〟はなくなる。
自分も、自分の愛する人も、いつか必ず終止符を打ち、
この世を去る。
〝死〟を俯瞰するようになる。
何事もなかった顔をして、次の患者さんの治療に当たる。
以前、ブログに、38歳の時、私自身、敗血症で生死をさまよった時のことを、〝臨死体験〟というタイトルで書いたが、この時も、〝死が怖い〟というより、死の足音がコツコツと近づいている、いう感覚はなんて鮮明なんだ…という冷静な自分がいた事を今でも良く思い出す。
哀しみは絶えないけど、彼女のいろんな思いを引き継いで行こうと思う。
私しか、代弁できない事もあるかもしれない。
彼女が〝憧れる〟と言ってくれた私は、きっと、発信を続けていく私だったはずだ。
ちさちゃん、頑張るね!!
See you again and R.I,P
Emma拝