これから医師になり行く者に絶対に忘れないでほしいこと。

それは…


〝分からない〟事は〝分からない〟と言う勇気を持ち続けること。


とかく、医者というのは診断をつけたがる。
診断名をつけなきゃ、〝負け〟みたいな謎の風習がある。


今はパワハラやドクハラに対する厳しい目があるから私達の時代とは違うかもしれないが、私は確定診断がつくまでの22年間、の間に、
〝心身症〟〝鬱病〟〝呑気症〟〝自律神経失調症〟…
俗に言う〝ゴミ箱診断〟に放り込まれ続けた。
医療スタッフはそうした患者を陰で、〝サイコパス〟〝プシコ(=psycho)〟と呼ぶ。

特に入退院し始めた26歳頃から38歳頃まで鬱病的なあいまいな診断で、大量の抗精神病薬を出された。
ものが益々食べられず、貧血が進んでしまい、いよいよ歩けなくなって入院している私に、家族が私に変わって〝どうしたらいいですか?〟と先生にきいたら、振り返しごしにこう言った。

少し、歩いたらどうです?寝てないで〟

医師にとっては、患者はOne of themかもしれないが、こちらにとっては命懸けで病を託している相手。おざなりにされた経験は一生忘れない。
孫の代まで覚え続ける。

どんなに医学がすすんでも、診断をつけられないこともある。なんなら沢山ある。

国家試験に出題される病気は、ごく一部で、医師免許を持っていても、知らない病気は山ほどあるからだ。
国や人種が違えば、罹患率が高い疾病も違うし、治療法も全く異なる。

テキトーに診断をつけるのではなく、分からないこと、知らない病気がある事を念頭に置き、慎重に診察するからこそ、正しい診断に繋がる。

そして、もう一つ、〝分からないこと〟に対する謙虚さは、病名や治療法に限らず、〝患者の苦しみは分からない〟という認識も、とても大切な心持ちである。

私は一応医師免許があり、医療知識を持っているオストメイトだ。
しかし、オストメイトの気持ちは分かっても、大腸癌の患者さんの気持ちは分からない。
〝癌〟を抱えて手術に挑み、化学療法の副作用に苦しみ、放射線療法を受ける患者さんの気持ちを理解することはできない。

簡単なことである。
私は自分の病気のことしかわからない。
人間は、自分が経験したことしか100%理解できない。



相手の苦しみが理解できないからこそ、少しでも〝分かろう〟と心を歩み寄せるし、優しくなれる。
これは〝医師〟である前に、一人の人間として、忘れてはならない〝心〟だと思う。


大学病院のベッドサイドで勉強することようになれば、患者さんからも、看護師さんからも、ひとしきりみーんなから〝先生〟と呼ばれるようになる。
白衣を着ていれば、とりあえずみんな、〝先生〟。

〝先生〟と呼ばれるのは、ぶっちゃけ悪い気はしない。


でも、患者さんや看護師さんが〝先生〟と呼ぶのは、
実は、単に〝名前を覚えるのが面倒くさいから〟である。
誰かしらに用事がある時、医局で白衣を着ている人達に〝先生!〟と呼びかければ、とりあえず全員、羊みたいに振り返る。


便宜上そう呼んでいるだけで、まかり間違っても自分が偉くなったなどと思ってはいけない。

病気を、さらには死ぬとはどういうことかを、我々は、患者さんから、身を持って学ぶのだ。


私は、病気に妨げられ、医師としてのキャリアは早々に閉ざされた。

母校である鹿児島大学には、ずっと顔向けできない、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


期せずして、オストメイトモデルという立場から、今回、15年ぶりに母校を訪れ、講演させて頂けたことを、本当に嬉しく思っている。

これから医師になり行く後輩達に、心からのエールを送るとともに、彼らに、いち先輩として、また、いち患者としての想いが伝わっていたらいいなぁ。

ほんのちょっとだけでもいいから…。