大晦日であるが、いつの日からかその実感が失われている。以前のブログの「良好な夫婦関係を築く方法」と「毎日が一期一会の生活」に近いものもありますが、1年の終わりにちなんで感謝について書こうかなと。

私たちは「おお、いま酸素を吸っているぞ!」という感覚を持つことなく、無意識のまま呼吸をしています。そこには「酸素よ、ありがとう!」という気持ちは出てきません。

日常とはそのような無意識下で流れており、「傍に居て当たり前」「してくれて当たり前」「合って当たり前」に慣れてしまうと感謝の心を封印してしまいます。

だから、敢えてでも出さねばビックリマーク
そう意識するだけで景色は変わるでしょう。

改めて妻の顔をマジマジと見てみる。目尻にシワが増えた。それは関係ない。いつも何をしてくれているかを思いだしてみよう。ご飯を作ってくれる(けっこう上手)。お弁当も作ってくれる。お菓子も作る。掃除や洗濯をしてくれる。お風呂もよくいれてくれる。疲れていると気遣ってくれる。たまに肩を揉んでくれる。荷物が重い時は駅まで車で送ってくれる。会計をまとめてくれている。ビーズアクセサリーを作ってくれる。お中元やお歳暮の準備をしてくれる。面白いと思われる番組を録画してくれる。実家へ行く時はお土産を用意してくれる。お宅訪問の時もお土産を用意してくれる。子供の面倒を見てくれる。身近なところでも、かなりいっぱいあるな。こうやって列挙していくと限り無い恩恵を受けているのが分かる。

毎日の献立を考えるのは大変だ。家にある食材から作ろうとするメニューを考え、不足分を調達しに買い物へ行く。もし、3食作るとなると大変だ。準備と後片付けで4時間はかかるかな(手際よければもっと短いか)。私の影響も有るが、食材には気を遣ってくれて添加物は少なめである。自炊すると分かるが大変だ。「今日の味付けは薄いけどどうしたの?」なんて申し訳なくて口が裂けても言えない。たまには外食をさせてあげないと可哀想だと思えてくる。毎食、作ってくれる妻に感謝しつつ頂きます。

洗濯では洗濯物を干して、取り込んでくれる。洗濯物をたたんでくれる。箪笥にしまってくれる。アイロンをかけてくれる。いつも私は引き出しを開けて衣類を取るだけだ。「シャツが無いけどちゃんとしまってよ」だなんて申し訳なくて口が裂けても言えない。家事は大変だ。引き出しを開ける度に感謝して服を着ます。

こんなことをおいにっていたら家庭が上手く行かないはずがい。

して貰って当たり前 右矢印 よくぞしてくれた それでいい。

相手の悪いところばかり見て追及する不毛な行為はやめよう。


これを家族以外げるとどうなるか? といえば、人間関係が上手く行かないはずがい、、、気がする。。。まあ、社会にはそうでは無い人もたくさんいるが、その人に自分を合わせる必要は無い。


また、自分が今ここに居るという奇跡に感謝しよう。

自分の歩んだ道のりを少しずつ振り返ってみると、如何にたくさんの人と関わり、自分の人生に影響を及ぼしたかが分かるでしょう。その中でも人生の分岐点に関わった人は容易に思い出せる。背負っていた荷物を降ろしてスッキリした人生となるきっかけをくれた女性には感謝してもしきれないほどだ。今の全国行脚で予防医学を説く生活は4年前では想像も出来なかったが、この充実した楽しい道へ導いてくれた人々には本当に感謝している。こんな感じで人生の節目を見直すとたくさんあるでしょうし、それぞれに感謝の念が湧き上がる。

または、こうだ。先ずは妻が居なければ現在の生活は全く成り立たない。今の住居を貸してくれた人が居なければ望む条件を満たす物件は無かった。その大家さんと先輩の奥さんが同級生で良かった。その先輩と師弟関係で良かった。その先輩が私の母校に赴任してくれて良かった。私が母校を選んでいて良かった。志した医学の道へ進ませてくれた両親が居て良かった。厳しい塾の先生にもまれて受験勉強ができて良かった。その先生と父が知人で良かった。医学の道を志すきっかけとなった格好いい整形外科医が近所に居て良かった。整形外科へ頻繁に通うほど怪我をするやんちゃな自分で良かった。両親の間に産まれて良かった。無事に出産して貰って良かった。五体満足で産んでくれて良かった。何万個もある卵子の一個と数億の精子の中の1匹が受精して着床して妊娠が継続して良かった。父親が生まれてくれて良かった。母親が生まれてくれて良かった。ああ、果てしない、書き切れない。

この様に、自分1人の人生には森林と呼べるほど複雑なきっかけで成り立っている。先祖を想う気持ちも芽生える。今の自分になる為の確率計算したら何千億分の1なんてもんではないでしょう。すなわち、これは奇跡なのではないか? そんな奇跡的な人が奇跡的な出会いをして夫婦となったのである。

そして、自分の遺伝子を継いだ長男と長女。更に果てしない確率で今ここに居る。おっっ、目がウルウルしてきた。

そんな奇跡の人々がそれぞれの人生を歩んでいる。精一杯自分の出来る事を、自分の信じる路を歩む。不幸と思える状況や、人生に価値を見いだせない方は路を見失っているだけだと思う。路を間違えているだけだと思う。世の中の役に立つ人しかいないと思う。

無意味な人生なんか無いと思う

ではよいお年をお迎えくださいませ^^