これは私のバッグであります。

51歳男性で、自分で言うのも何ですが、どこからみても「薄毛小太り中年のオッサン」です。そのオッサンのカバンにダッフィークマがついています。

$田中佳先生のブログ

電車に乗り、目の前にこのカバンを持ったオッサンを目にしました。

どう思います?


私を知る人は温かい目で見てくれますし、可愛いと言ってくれたりもしますが、一般的には やはり キモイ変態オヤジ でしょうか。

もしかすると女子高生などからは集団で「キモイからあっちへ行け!」と言われるかも知れません。OLさんは黙ってメールで「隣にキモイオヤジが居る!」と打つかも知れません。サラリーマンも家に帰って妻へ「今日、変なオッサンがいたんだよー」と家族団欒の話題になるかも知れません。同様のオッサンは新橋で「みんな信じられるか?こんなオッサンを」と酒の肴にするかも知れません。お爺さんやお婆さんは「若いのに軟弱でけしからん」と言うかも知れません。

少々極端な例えではありますが、まあ、普通な感覚だろうなあと思います。


では、このオッサンに物語を付けても同じかどうかを考えてみて下さい。


このオッサン(以下、父)は娘の持つ携帯にダッフィーが付いているのを見て、「可愛いね」と言いました。娘は父に「これ、TDSにしか売ってないんだよ。パパも好き?」との問いに、父は笑顔で「好きだよ ♪」と答えました。月日が流れた或る日、娘は友達とTDL&TDSへ行く事となり、お土産にダッフィーを買ってきてくれました(写真の物)。「パパが好きだっていうから買ってきた」といいます。ダッフィーは一見すると皆同じに見えますが、一体ずつ微妙に違うのだと自慢げに説明してくれました。それを知っている娘は父のためにひとつひとつ顔を確認し、一番顔立ちの良い一品を選びました。その様子を思い描くだけで父は幸せな気分に浸ります音譜 せっかく買ってくれたものの、ちまたの女子高生のように堂々とぶら下げることは出来ませんでした。そんな父をみて「付けないの?」と責めてきますあせる。「好きなんだけど、ね、、、付けようかな」で、外にはぶら下げず、バッグの中に居て貰う事にしました。これならぶつかって外れたりしなくていいかなと。

父の喜ぶ姿を思い描いて必死に時間を掛けて選んでくれたダッフィーです。娘の想いがギューギューに詰まっています。

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このダッフィーを見る度に、これを懸命に選んだ娘を思い出すことが出来ます。私にとって、これはダッフィーではなく、娘です。もはや、外す事は困難です。


もし、今日、交通事故で娘を失ったとしたら、その瞬間から遺品となります。

それでも キモイ と言えますか?

その先に有る何かを想像することは出来ませんか?
見た目の判断で結論を出してしまっていいですか?

隣に座ったよれよれのお爺ちゃん、
 実は大会社の創設者かも知れません。
細身のお婆ちゃん、日本舞踊の師匠かも知れません。
女子高生さん、新体操の入賞者かも知れません。
若い青年、甲子園球児かも知れません。
国体優勝者かも知れません。
暗算世界一かもしれません。
ヒップホップ世界大会覇者かもしれません。
名だたるパティシエかもしれません。
歌の名手かも知れません。
似顔絵が得意かも知れません。
素晴らしい書家かもしれません。
笑顔の向こうに苦難を抱えているかも知れません。

自分にも一度ならず経験が有るからですが、見た目で安易な評価をサッサと下すことは恐いことでもあります。実は凄い人だったと分かり態度を変えるのではなく、実はみんな凄い人だという前提でもいいと思うのです。深く話をしていくと「へーっ」と言う事は珍しくありません。自分の知り得ない色々な経験をし、自分の持っていない物を持っていたりもします。

偶然すれ違う人々それぞれに様々な人生があるし、見えないところにたくさんの想いがあると思って街を歩いてみては如何でしょうか。

その方が人生  ですよ。