前回の「良い夫」を築こうとした話しと並行して「良い父親」にもなろうとしていました。「良い医師」にも。なんでこんなだったんだか分かりませんが、そんなでした。良い夫婦の関係が分かってしまうと、良い父親もどうすれば良いか分かりました。それなりに。

子育てとは、成人式を迎え、就職して、結婚して世帯主となり、自分で生きる力と見識を身につけてもらう事だと思うのです。その為の人間像を叩き込む。怒る時は徹底的に怒る。やるべき事は意地でもやらせる。礼儀を重んじて挨拶は誰にでもできるように。etc,,, と思っていた。

手は上げなかったけれど、かなり厳しくしていた。

今年、大学1年生となった息子は中学2年の時に、泣きながら「死にたい」と口にした。たまげた。話を聞いてみると「面白くも無い勉強をする意味が解らない」と言って泣く。その時は勉強すれば知識が増えて、見識が広がれば人間が大きくなるだろう みたいな話をした。死ぬ前に、試しに死ぬほど勉強してみたらどう? 勉強して高い所へ登ると見える景色も違ってくると思うのよ。その方がいろいろ大学も選べるから選択肢は増えると思うのよ。それでも死にたかったらまた考えてみよう なんて言いました。親から「もう勉強はそれくらいにして休んだら?」と言わせてみなよ なんてことも言った。

その後、息子は落ち着きましたが、目をつり上げて勉強してました。成績が上がっていきます。そして高校2年になると「もう勉強はそれくらいにして休んだら?」と言うようになりました。しかし、部屋の壁には穴があき、洗面所の硝子は割られ、夜な夜な雄叫びを上げるなどの奇行に我々はびびりました。

これも2010年5月の或る日を境に気づきました。ともかく勉強しておけ いい大学へ行け だなんて、、、
_| ̄|○ なんてことをしてきたんだ と。「勉強しろ」と言われて勉強する方がどうかしてる。息子はよく従ったものだと思い、反省しました。

目的無き受験勉強に意味は無いし、単なる受験勉強は下らないことだ と。

それから180度方針を転換。荒れる息子へ、「もし意味が無いと思うなら受験勉強はやめていい」と言いました。何か手に職を付けたいというなら職人になってもいい。君自身が決めた道であるならば、我々両親は全面的にバックアップするから安心しなさい。もし、進む道の途中に受験勉強があるなら頑張りなさいと。

でも 進む道が分からない が本音でした。

これはいけない。人生の先輩から「道は開ける」という名著を紹介され読ませたり、色々な職種を紹介したり、大学を実際に見るよう勧めたり、いろいろしました。そんな時、頭の切れるアナリストに話しを聞く機会があり、感銘を受けます。更に、そのビルの上にある三次元プリンターという不思議な機械を見せてくれるというので見に行くと、説明困難ですが家の模型が家具などの配置をそのままの色つき立体モデルがいきなり出てくるのです。これはたまげました。そして、これが彼の運命を変えます。物作りに興味を持ち、自分自身で考えた末にデザイン工学の道を選びました。それからは加速度的に成績が急上昇し、第一志望の大学へ入学しました合格

間に合って良かったブーケ2
今の彼を見ていると、とても幸せそうです。早く成人して一緒に酒飲みたいものです。


子育てで最も意味が無かったことは怒ること。

最も重要なことは子供を心から信頼すること。


怒っても、怒られた事実と恨みだけが残ります。怒ったからといって直った事は無く、怒られないように見せかけるようになるだけです。親が子供を心から信頼することは想像を絶する苦労です。信頼したからには「勉強はどんな具合か?」とか「大学は何処にするんだ?」とかは一切聞かない。聞いたら信頼していない事を露呈するだけである。だから学校の試験や模擬試験の結果も聞かない。期末の成績表を見せろとも言わない。彼が決めたことを全力でバックアップするだけに徹します。願書のお金を下さいと言われて始めて あ、4校受けるんだ と知ったくらいです。それくらいでいい。

無関心 ではなく 見守る

似て非なることです。



<余談>
医学部はどうか? と聞いたところ、「いいと思うけれど、医学部だけは絶対に行かない」と。理由は、私がボロ雑巾で帰宅する姿を見続けたことによります。親の背中を見ての結論です。ああはなりたくないと爆弾。歌舞伎役者が延々と世襲できるのは、父親のようになりたいと思わせる尊敬できる人物だからかなと思えます。変な背中を見せてしまったなとは思いましたが、ま、これもまた人生ですね。