自分は我慢強い方だと思う

誰かの期待に応える一心で頑張りすぎてしまう   



頑張りすぎている自分が普通なんだと感じてそれが自分だと錯覚すらしてその演じて頑張っている自分自身を人格にしてしまう

 


誰かの期待通りの人間を演じてしまって

結局一人になると目の前では言えない不満をツイキャスで察してくれない怒りや悲しみで悪口大会口から文化祭になって 

面裏やばい人間になってしまう   





冷静に考えても自分みたいな自分は友達にもなりたくねえわなって思うw







その場では相手を気持ちよく無料のキャバ嬢を誰にでも演じて裏では文句ばかり言っている


自分の人生は仕事みたいなもんなのかもしれない





大半の人が仕事は嫌々行きたくもないけど生きるために働いていると知ったためそう感じる





社交辞令が人間関係で大事なら法律で決めて欲しかった 人類生き物全てに死は訪れると同じようにと感じる


遊びたくないのにまた今度遊ぼうねも嘘も方便とかいうけどなら言わない方がいいやんって思ってしまう



自分が見てる世界では人は敵



14歳ぐらいから20半ばまでツイッター見てくれて関わってくれていた人が


いいねをしなかったりしたりでいつもいいねくれてたのに 



闇ツイートばかりしていていいねしなくなった事を本人に聞いたら



そういうツイートにはいいねしたくないからですと言われてそれまで関わってきてくれた何年間も腹が立ってブロックしてしまったり




勝手に傷ついて勝手に

 あ、自分のこと全て受け入れてくれてると思ったのにという自分の傲慢さにも嫌気がさす



ブロックしたりすると気がその場では晴れる そいつを殺せたって感じになるから 






自分が多分褒められても嬉しくない事と素直に受け取らず


ひねくれていったのは

これもある気がする

小学生の頃


親父は自分がスカート 履いてると珍しい可愛いの履いてんなお前も女の子なんだなと言われ


かーちゃんは自分の事を周りの人間に電話やワシの事を話す時に黒い服ばっかでうちには男の子がいるかと思うわ〜とことある度に他人に話していた事


だから中学に上がる頃には親の顔色を伺いながら何も言われない様な服を着る様になっていった こういう服着る時は何も言ってこないなと思える服になっていった