暑くてじめじめな午後
ガリガリくんを買いに行こうと
二階の仕事部屋から
一階に降りていった。

すると
ウチの敷地の隣の駐車場に
入り口をふさぐように
斜めに突っ込んで停まっている車が
窓から見えた。

その車から降りてきたのは
足取りのおぼつかない
おじいちゃんと
おばあちゃん。

私は慌てて窓を開け

「すいませーん
 車、端っこに停めてもらっていいですか?
 そこだと車が入れなくなっちゃうんで」


とお願いすると

おじいちゃんと
おばあちゃんが

「車が壊れちゃって」

と言う。

外に出て行って
話を聞いてみると

運転している時に
急にハンドルが重くなって
いつもと様子が違い
おかしいと思って
目に入った駐車場に
一旦入ろうとしたところで
エンジンが止まってしまった

ということらしい。



私は車のことは
よくわからない。

幸い家にあぶがいたので
すぐにあぶを呼んだ。

あぶは
ふたりの車を調べる。

これはプロに
任せるしかないということになり

どこの保険に加入しているのか
どこで車の修理をしているのか
あれこれ聞いて
とにかく、SOSを出すことにした。

おじいちゃんのお財布の中の
自動車保険のカードにあった番号に
私が代わりに電話をして
状況を伝える。

ふたりは
携帯電話を持っていなかった。
90歳と91歳って言ってたから
当然だよなぁ。

一通りの説明の後
対応をしてもらうことが決まり
レッカー待ちになった。

最長で1時間は待つという。



あぶは
折りたたみの椅子を持ってきて
おじいちゃんと
おばあちゃんに
すすめた。

私は
冷たいお茶を買ってきて
差し出した。

ふたりはその椅子に
よっこらしょと腰掛けながら

「こんなに親切にしていただいて
 本当にありがとうございます。
 助かります」


何度も何度も頭を下げる。



なぜだろう
目の奥がじーん…と熱くなった。




レッカー車を待つ間
ふたりは身の上話をしてくれる。

おじいちゃんが
皮膚がんで入院していたこと

入院の予定が1週間だったのに
長引いて3週間になったこと

やっと退院してきて
近くの病院に転院して
内蔵の精密検査を受ける手続きをしに
転院先の病院に行った帰りに
車が壊れたこと

おばあちゃんは
うちの近所の女子高に
昔、自転車で通っていたこと

そこは昔は高校ではなく
高等学校だったこと

色々、色々、話してくれた。



そのうち
ぽつ、ぽつ、と
空から雨粒が落ちてきた。

雨が来る…

隣のウチの敷地内の
元立ち食いそば屋だったお店に
雨宿りに入ってもらう。

ちょこんと座るふたりに
ウチで取れたプチトマトを
お菓子代わりに出した。



お礼に受け取ってほしい、と
千円札を差し出したふたりは

私達が何度断っても
千円札を引っ込めなかった。

「ダメです、ダメです、いけません
 どうか受け取ってください」


少しして、あぶが

「では、お気持ちありがたく頂戴します。
 ありがとうございます」


と、深々と頭を下げ
その千円札を両手で受け取った。

ふたりはうれしそうに
うん、うん、とうなずく。

「こんなもんでは足りないくらいです
 ありがとう、ありがとう」


ふたりの気持ちを瞬時に察し
心得て受け取る
そんなあぶが
本当に素晴らしいと思った。



とっちらかるふたりの話から
状況を察してまとめて
こういうことですか?と確認したり

加入保険会社や連絡先を
やっとのことで探してもらったり

エンジンがかかるかどうか
ブースターケーブルをつないでみたり

コールセンターとやりとりして
レッカーの手配をしてもらったり

レッカー対応の専門部署と
電話で何度もやり取りしたり

正直、かなり手間で、大変だった。



それなのに、

なんだかとっても
やわらかい気持ちになっていた。


ありがたいと繰り返す
おじいちゃんと
おばあちゃんだったけど

本当にありがたいのは
こっちの方だ
そう思った。


ふたりに
本当にありがとう
そう言いたい気持ちだった。



お世話になった先生が
言った言葉を思い出す。

10数年前の話だ。

「苦しい時こそ
 人に与えてください」


当時の私には、
意味が全くわからなかった。

自分が苦しいのに、
なんで人に与えなくちゃならないの?
助けてほしいのはこっちなのに?
って。

先生は、

「やってみればわかります」

とだけ言った。



今は、その意味がよくわかる。

与えることこそが
受け取ること。

言葉で
行為で
施させていただくこと
それほどの宝はない。

徳を積む、とか
人にすることは自分にすること、とか
そんな理屈じゃない。


また

人に何かをできる自分に
価値を見出して
ささくれ立った心の隙間を埋める
そんな代替行為でもない。


人に与える時
私達は「受け取るもの」を受け取る。

損得や打算
そんなもの抜きで
誰かに何かを与える時
必ず「受け取るもの」がある。

私は、それをあえて
言葉にしようとは思わない。

特に、苦しい時ほど
それが何かがよく見える。

その苦しみが
かすんで見えなくなるほど
尊いものが手のひらの中に残る。

その苦しみに
盲目になって見失っていたものが
見えるようになる。



ガリガリくん欲しさに
出かけようとした私の前に
現れたおじいちゃんとおばあちゃん。

ふたりは
空から降ってきた
贈り物みたいだった。

でっかいレッカー車に乗って
手を振りながら去っていった
ふたりを見送りながら

私が取り戻したのは
きっと
人間の尊厳と美しさだった。




おじいちゃんとおばあちゃんから
いただいた千円札を
私達は大事にとっておくことにした。

素敵な贈り物が届いた
今日という日を
おじいちゃんとおばあちゃんを
折々、思い出せるように。



もうひとつ
意外な贈り物が。

レッカーでふたりの車を
引き取りにきた人が
ウチのばあちゃんが昔やっていた
立ち食いそば屋の
常連さんだったのだ。

「自分、常連だったんですよ。
 もうやらないんですか?
 また食べたくなったな」


そう言う彼に
ばあちゃんを呼んで会わせた。

ばあちゃんは
常連さんとの再会をとても喜んて
少しの間立ち話をしていた。

はちきれそうな笑顔をしたのは
久しぶりだな、ばあちゃん。

それを見て本当にうれしかった。



生きていると
本当に色々なことがあります。

けれど
こういう日が訪れる度に
私達は大いなるものに
愛されていると
心から思うのです。

そして、人生は美しいと。



おじいちゃんと
おばあちゃんを
助けた日

助けられたのは私でした。

 

 

 

このお話には

思いがけない後日談がありました。

人の美しさを

また与えられた日でした。

生き急ぐ私の肩をたたくもの

 

 

 

 

 

 

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