どれくらいぶりだろうなぁ、
こんなに泣いたのは。
ずいぶん長いこと泣いてたと思う。

ベッドに倒れ込んで、
押し寄せてくる記憶に包まれて、
いっぱい泣いた。



マックのデータの整理をしてたら、

「あんな&えみ」

というフォルダがあって、
なんとなくクリックしてみた。



そのフォルダに入っていたのは、
アンナぽが小学生の頃の写真。

アンナぽはうんと小さいく、
顔もあどけない。

私が彼女の肩を抱き、
親父が入っていた施設の、
大きな鏡に映った
自分とアンナぽを自撮りした写真。
(まだ髪が黒い・笑)




私の顔はカメラで隠れているけれど、
アンナぽのまっすぐな瞳が、
こちらを見ていた。

なぜだかわからないけれど、
不意に涙が溢れた。
やさしい涙だった。

ただ、ただ、愛おしい。



そして、記憶が甦る。



生まれてきた時、
本当にうれしかったっけ。

帝王切開で出産した私は、
すぐにアンナぽに会わせてもらえず、
ベッドに横になりながら、
生まれてすぐ産院で撮ってもらった
アンナぽの写真を見ながら、
会えるのを心待ちにしてたっけ。

その様子を見た看護士さんが、
アンナぽを私にところに
こっそり連れてきてくれた。

私の赤ちゃん…

こみ上げてくる
それまで感じたことのない
言葉にならない気持ち…

横に寝かせてもらった小さなアンナぽに、
私はそぉっと腕を回した。



子育ては本当に色々あって、
私は聖人君子なママではなかった。

感情的になって
ひどいことも言ったし、
ひっぱたいたこともあった。

育児書に書いてあるような
ママになれなくて
自分を責めたっけなぁ。

いっぱいいっぱいだったんだよな。

生まれたばかりの頃は、
夜中もろくに眠れず、

ちょっと大きくなると、
自分の時間がまったくなくなって、
ただ子育てと家事に追われて、

友達とも会えず、
好きなこともできず、
自分だけ取り残されたような
気持ちにもなって、

子供はかわいいけど、
フラストレーションもハンパなかった。



前のダンナは
家事育児に不参加だったなぁ。

アンナぽが夜中に泣くと、
うるせぇ!って不機嫌になって、

泣きやまないアンナぽを
車の助手席に乗せて、
朝まで街の中を走り回ったっけ。

ひとりぼっちだと感じてたなぁ。

つらくて実家に帰ったら、
親父に玄関で塩まかれたっけ。
家がけがれる、敷居またぐな、って。

泣きながら帰ったなぁ。

そんなことを思い出した。

アンナぽがかわいくて、
本当に大切で、

それなのに、
感情的になって、
理不尽なこと言ったり、
八つ当たりして、
つらい想いさせて、

それが何よりつらかったよなぁ、って。



そうしたら、
不意に、口から、

「お父さん、お母さん、ありがとう…」

って言葉がこぼれた。

そして、なぜか、

私の脳裏に浮かんだのは、
親父が撮った写真の数々だった。

アルバムに貼ってある
何枚ものモノクロの写真。

笑う私をだっこしているお母さん。
私のほっぺをつつくお母さん。

眠そうに目をこする私。
お昼寝をしている私。
ブリキのタライの金魚をのぞき込む私。
拾ってきた子犬とじゃれる私。
クリスマスツリーの隣でぶすくれる私。

雪が降って、
かじかんだ手を、
はぁーっ、ってあたためている私。

それを撮ったのは
写真が大好きだったお父さん。

写真の中の私は、
ありのまま、その時の自分で、
そこにいたっけ。

なぜだろう、

写真の陰にある
見落としていた父と母の想いが、
溢れるように伝わってきた。




そうだ、閉ざしたのは自分なのだ。
閉ざさざるを得なかったのだ。



私と同じだ…

子供が、
かわいくて、かわいくて、
大切で、大切で、

でも、

ホントに色々あり過ぎて、
ホントに色々背負い過ぎて、
ホントに色々痛過ぎて、

想いをそのまま形にできなかった両親。

父は暴言暴力を差し出し、
母はその軋轢で理不尽さを差し出した。

差し出したいものを
差し出せなかったよね…



私の中には、

「愛が見えた」

という言葉が、
ぐるぐる回っていた。

私は愛されていた。
確かに愛されていた。

でも、お父さんとお母さんが
私に差し出した愛はいびつだった。

だから、いらないと思った。

私は愛されていないと思った。
いつも父と母を憎んでいた。

なぜ産んだの?
こんなに苦しめるなら
産まなきゃよかったのに、
そう思っていた。




そして、

私の記憶から抜け落ちていた
父と母の
愛と不器用とジレンマの記憶が、
写真と一緒に甦った。


全部ひっくるめてそこにあった。



なんて大切にされていたんだろう、
なんて愛されていたんだろう、

ただ、ただ、
あまりに色々あり過ぎたんだ、
それだけだったんだ、
それだけ、ただ、それだけ…

たとえわかっていても、
それだけ、と思えなかった部分が、
深いところにはあって、
そんな自分をどこかで知っていた。

いくつの層にもなって、
繰り返す気付きと癒しと共に、
入り組んでいるようなそんなものは、

繰り返し訪れる
こうした瞬間によって、
少しずつ、少しずつ、薄皮をはぐように、
私から離れていって…

行きたい場所に辿り着く。

そして、また、
ただ、やってきたのだろう。
私はこの上なく愛されていたと、
深く感じ入る時が。



息ができなくなるくらい泣いた。



死んだ親父が残してくれた
写真セラピーみたいだった。

私の痛みの薄皮が、
またはがれていく。



セッションをしていて、

目の前に起こることに
何かを見るのではなく、

その陰で起こることを、
大いなるものに全部
ゆだねようと思うようになったのは、

そういう体験を
繰り返しているからだと思う。

すべては「それ」が訪れるための、
ひとつのピースなのだと。

私が何かをするのでも、
私が何かを起こすのでも、
ないんだよね。

ただ、意図せずに、
そこで起こることのための
媒体でいること、
私個人の意志を介在させないことに、
心を砕いている。

その時、整うものが整い、
「それ」のためのピースが集まっていく。
起こることが自然に起こっていく。

その繰り返し。



ななみんのブログにいいコト書いてあった。
ホント、こんな感じ。

以下、ななみんの記事からの抜粋。

**********

私が音叉を鳴らすとき、そこに私個人の意志は介在しません。

風が木の葉を鳴らしたとします。
しかし、そこに風の意志は存在しません。

「こんな音を出せば人間は喜ぶだろう」なんて事はないわけです。

私は風ではありませんが、私が音叉を鳴らすときは
積極的に「大いなるものの一部分」と化します。

セッション前にコミットメントすることは、いつも一緒。

 このひとに最善を

最善、と書きましたが
実際には「最適」と言ってもいいかもしれません。

ニュアンスとしては、そのようなところを意図しています。


**********

だからななみん好きなんだぁ。



父は、
Yashica flex という
二眼カメラで私を撮っていた。

上からのぞき込むように
ファインダーを見る
昔のカメラ。

今、その親父のカメラで、
あぶが私を撮る。




突然私が
一眼レフカメラを手にしたのも、
なんだか不思議な話だ。
写真に興味なかったのに。

そして、そのカメラを通して、
私はあぶに出会って家族になった。

我が家にやってきたあぶは、
カビがはえ
もう使えないと思っていた
親父の二眼レフカメラを、

ていねいに分解し、掃除し、
割れた外側の皮を貼り直し、
大切に使っている。



私があぶからもらった
最初のプレゼントは、

あぶが私を撮った写真を
ファイリングした写真集だった。

気取ってない私が、
普段見ないような私が、
写真の中にいた。

子供の頃のアルバムを見ているような、
そんな気持ちになったっけ。

すごくうれしかった。
今も時々開いては眺めている。



カメラは、ある瞬間を、
切り取って写真にする。

それはただの記録だけど、
記憶のかけらでもある。

ただの記録である写真は、
時に、トリガーとなり、
記憶と一緒に、
撮る側の、撮られる側の、
その時の想いまで運んでくることがある。


写真のチカラ。

1枚の写真から色々なことが連鎖し、
抜け落ちていた記憶が
私に運ばれてきたように。

そして、
呼び起こされる大切なもの。



パートナーのあぶが
写真を撮る人でうれしく思う。

あぶの写真が、
いつか、誰かの、
たとえ何十年先でも、
そんなトリガーになることがあったら、
それほど幸せなことはない。






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