私の母は
小さなそば屋を営んでいた。

一昔前の話だから、
かけそば1杯が150円なんて、
今じゃあり得ない値段だった。

時代を追うごとに
少しずつ値上げはしたけど、

それでも、
200円ちょっとだったと思う。

子供心に、
なんてみみっちぃ商売なんだろう、
そう思っていた。
単価が低くて、
なんだかバカらしく思えたのだ。



高校生になって、
店が忙しいと、
手伝うように言われたけれど、
たいがい知らんぷりした。

たまに手伝っても、
仏頂面して仕方なくやっていた。

私はこんな仕事イヤだな。

もっとカッコよくて、
こんなちまちま
やるようなんじゃなく、

いっぱい稼げる仕事がいい、
そう思っていた。



けれど、
来る人来る人、みんな、

おばさん、おばさん、と、
母に親しげに声をかけ、
おいしかった!と笑顔で帰っていく。

母も楽しそうだった。

それに、結構繁盛していた。

それをいぶかしげにながめていた。



父の病気、
自らの年齢のこともあり、
母はそば屋をたたんだ。

もうやっていないのに、
お客さんが玄関のピンポンを鳴らし、

「おばさん、
 またそば屋やってよ」

そう言う。
ひとりやふたりじゃなかった。
何人も、何人も、
来る日も、来る日も、
いつまでも、いつまでも、
そんなお客さんが絶えなかった。



生まれた町を離れて、
20年経ち、戻ってくると、
商店街は寂れ、閑散としていた。

仕事で地元の人と
話す機会が増えると、
必ずと言っていいほど、
母のそば屋の話が出る。

「おいしかったよねぇ。
 あんなにおいしいそば屋、
 今でもないよ。
 また食べたいな」

「お母さんに、
 またそば屋やって、って、
 言っておいてよ」

「ええっ、
 あのそば屋の娘さんなの?
 なんだよー!
 安くて、学生の俺でも食べられて、
 毎日のように行ってたんだよ。
 おばさんもやさしかったなぁ。
 あのそばを超えるそばは、
 いまだに出会わないね。
 またやらないの?」

「麺はそのへんの麺なんだよね。
 駅の立ち食いそば屋みたいなさ。
 でもさ、たれが違うんだよ。
 だからどんな麺も
 おいしく感じるんだよね。
 あのたれはすごいよ。
 B級グルメの王道、伝説のそば屋だよ。
 ゆで卵もうまかった!」

行く先、行く先、
そんな話ばかりだ。

みんな、目をキラキラさせて、
めっちゃ笑顔で、
母のそば屋の話をする。

店をたたんで10数年経った今も、
母のそば屋は
お客さんの心に生きていた。



ここ最近、

「ねぇ、
 あんたがやればいいじゃない」

「お母さんの味、
 ここで終わらせないで」

「また食べさせてよ、あのそば」

「またそば屋やったら絶対に通うから、
 2代目やってよ」

そんなふうによく言われる。
一体何人の人に
言われたことだろう。

そんな言葉を聞く度に、
なんだか私は泣きそうになる。

みみっちぃと小馬鹿にし、
ふふんと鼻で笑ってさげすんでいた、
小さな、ボロい、母のそば屋は、
こんなにもたくさんの
人の心の中に残っている。



45歳になろうとする今、
私にはわかる。

20代、30代には、
決してわからなかった、
あのそば屋の素晴らしさが。

なぜ、10数年経った今も、
こんなに愛されているのか、
こんなに人に心に残っているのかが。

そこにはキラキラが
いっぱい詰まっていたのだ。

そばがおいしかったのは
もちろんのこと、
母は楽しんでいた。

お店に出ると元気になる、
イヤなことも吹っ飛ぶ、
よくそう言っていた。

母はそば屋が
生き甲斐だったのだ。

小さな、ボロい、そば屋で、
安い、けれど、
とびきりうまいそばを作る、
ひとりのおばさんがいて、

お客さんは、
そばを食べ、おばさんと話し、
とっても元気で
笑顔になって帰った。



あのそば屋を
バカにしていたけれど、

うん、本当は私だって知ってたよ。

お母さんのおそばは、
本当に、本当に、おいしかった。

毎日食べてたんだ。
学校から帰ると、
おやつはいつもそばだった。

お客さんはみんな母が大好きだった。
母はどんな人にもわけへだてなく、
やさしく、明るく、接した。



暴走族のリーダーも
常連さんだった。

母はいつも
「あの人はいい人だ」と言っていた。

突然来なくなったその人が、
10年以上経った後、
サラリーマンになって、

結婚して子供が生まれました、
昔はお世話になりました、と、
奥さんと子供を連れて
挨拶に来たことを、
今でも覚えている。

みんながおいしいと絶賛する、
みんなが大好きなおばさんがいる、
そば屋の娘であることが、
こっそりと自慢だった。

本当は全部知ってたんだ。
あのそば屋が、
あのそば屋をやる母が、
どれだけ素晴らしいか、って。

けれど、幼い私は、
本当の意味で、
その素晴らしさがわからなくて、
未熟な頭で思う浮かぶ精一杯の、
カッコよさなんかを、
追いかけていたんだろう。



私の心にも、
母のそば屋は生きている。
何より、そば屋をやっていた頃の、
イキイキとした母が。

あんなにカッコイイ仕事が
あるだろうか。

母は最高にカッコよかった。



父も退職後は
そば屋を手伝っていたっけ。

父がやるようになって
お客さんが減ったそうだけど(笑)

こっそりのぞいて、

「おばさん、
 おじさんいない?」

そう声をかけてくるお客さん。
父がいないとわかると、
急いで入ってきたそうだ。

父は家の人間以外にも、
ある意味分け隔てなく、
イヤな人だったみたい(爆)

今じゃそれさえいい思い出。



私はそば屋の娘。
あの伝説のそば屋の娘。

「立ち食いそば つくば」
って名前だった。

椅子があるのに、
なんで立ち食いそばなの?って、

よくお客さんに
突っ込まれていた(笑)

あのそば屋の素晴らしさが
わかるようになったのは、
年齢を重ねたから。
色々な体験をしてきたから。

子供の心はピュアで
美しいって言うけれど、

こういうことが
わかるようになるんだから、
大人だって捨てたもんじゃない。

小さい、ボロい、そば屋、
こんなハチャメチャ娘がやったら、
またみんな来てくれるかしら?