ピンと来て
いつもと違う道を行ってみたら
思わぬラッキーなことがあった
なんて、よく聞く話。

そして
確かにそう言うことがあると思う。

そんな話をしていた時、友達が

「ピンと来てそっちに行ったこと
 何度もあるけど
 なんにもいいことなかった」

と言ったのを聞いて
こう話した。

「なんにもなくてラッキーかもよ。
 もしかして、
 いつもの道を行っていたら、
 何かのトラブルに
 巻き込まれたかもしれないし、
 事故にあっていたかもしれない。 
 何もなかったってことは、
 逆に無事でいられたってことかもよ」



ツイてる!
いいことあった!
って感じられること、
そういう目に見えるラッキーは
すぐにラッキーだとわかる。

でも、
そういう目に見えないラッキーもある。
上の会話の話もそうだし。



よくよく考えれば、
空からミサイルが
振ってくるわけでもなく

平和に暮らしてて
寝るところがあり
食べるものがあり
お風呂に入れて
歯が磨けて
布団に寝られて、
安く医者にかかれて
携帯電話持ってて
ネットもできて

それが日本人にとっては
ごく普通のことなんだけど
本当は普通じゃない。

どんだけありがたく素晴らしいことか。



色々あるけど
それが一体自分にとって
どういうものなのかということは
後になってわかる。

あの体験があったから
今、私は…って。

そう思うと
過去にアンラッキーだったことって
ひとつもないように思う。

万事塞翁が馬のように
ひとつの出来事は次の何かにつながり
またそれは次の何かにつながり
私達の人生を織り成している。

細切れにするとつらい体験も
振り返ると
それがあったからこその
今に気づくことが多い。



目に見えないラッキーが
人生には満ちあふれている。

上がったり、下がったり
悲喜こもごもの人生を送りながらも
宇宙に育まれているんだなぁって感じる。
その、目に見えないラッキーに

「あああっ!!!」

って気づく瞬間がある。
それは、きっと、誰にでも。

その時人は、
見えない神様の愛を
理屈抜きで感じるのかもしれない。