この夏は暑かった。

アツガリーナな私は
ほぼ毎日タンクトップ。

Tシャツで土方焼けするのを
避けるってのもあったし。

そんな私を見て
何人かがそれぞれ
違うことを言ってきた。



「タンクトップ似合うね」

「冷房の部屋で肩寒くないの?」

「結構筋肉ついてるね」

「若いカッコしてるね」

「なに露出してんのよ」



面白い。
私がタンクトップを
着ているという
目の前の状況を見て

みんな違うことを言った。

そして
それぞれの言葉の裏には
それぞれの考えや気持ちがある。

ある状況を見て心が反応し
それが言葉になる。



「タンクトップ似合うね」

そう言った人は
見てそう感じて
褒めてくれたんだろう。



「冷房の部屋で肩寒くないの?」

そう言った人は
自分は冷えやすく
私が薄着をしていると
感じたんだろう。



「結構筋肉ついてるね」

そう言った人は
私の肩や腕の筋肉に
目が行ったんだろう。



「若いカッコしてるね」

そう言った人は
タンクトップは
若い人が着るものだと
思ってるのかも。



「なに露出してんのよ」

そう言った人は
私の露出度が高いと
感じたんだろう。



タンクトップひとつで
こんなに色々な見方がある。

「○○は△△だ」

色々あてはまるね。



「あの人は自分勝手だ」

「あの人は私の気持ちをわかってくれない」

「あの人は私の気持ちを無視してる」

「あの人は自分がどれだけ
 迷惑かけてるかわかってない」

「私が苦しいのはあの人が○○なせいだ」

「私がこんなふうになったのは
 あの人に○○されたからだ」



そう感じるのは主観。
絶対に「○○は△△だ」
というわけではない。

ただ自分が
そう感じているだけで、
実際のところは
それが本当かどうかはわからない。



ある時、
娘の同級生のママに挨拶したら
目が合ったのに無視された。

なんか感じ悪っ!
って思ったんだけど、
少しして私を追いかけてきて
彼女が言った。

「こんにちは、さっきごめんね! 
 水飲んでて口の中に
 水入ってて返事できなかった」

ヤな感じ!と思って
ムカついていたそのママが、
急に私の中で素敵な人になり、
好感度急上昇(笑)



本当にわからないもんだ。

それだけ私達は、
自分の世界の中で、
そこにあるものに
勝手に意味付けを
してしまうもの。

だから

自分を含め
人はそういうものの
見方をするもの

そう心に留めておくと
素晴らしい。

そうすると
あの人のせいだ
ああされたからこうなったんだ

そんな被害者的場所から
抜けやすい。

抜けると
現実がぐいぐい変わる。



自分が相手を見て
感じることは
あくまで主観であり

自分が見たいように見て
感じたいように
感じていることを
常に意識していることで
人とのコミュニケーションが
ずっとスムーズになる。

感じた感情は
そのまま持っていたとしても
状況に対して
中立な自分が生まれるからだ。

自分自身に責任を持つ。

たとえ、どんなに相手が
悪いように感じる場面でも、
自分の心理反応だけでは
決めつけられない何かがある。

だからこそ、そんな時にこそ、
感じることすべては自己責任、
そのスタンスを
意識していられたら
素晴らしい。



そして、アツガリーナな私は
今日もタンクトップだった(笑)