長久手の戦い… | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

「どうする家康」も残すところ後2話です。


来週は「大坂夏の陣」


家康の覚悟が見えます。


現在の大阪は「こざとへん」ですが、

この時の大阪を表す時は「土へん」

「土にかえる」縁起が悪いとのこと。


「こざとへん」は「阜」という字の略で

ゆたか、盛んであるとか小高い岡を

表しているそうです


「大阪」に表記変更したのは明治になって

からもあるそうで、「武士に帰ること」をも

嫌ったという説もあるそうです。



第46話では織田信雄も出てきてた〜


「小牧城」での榊原康政が堀った抜け道の事も

自分の手柄のように話ていて、

なんか笑ってしまいました。


「小牧・長久手の合戦」を今回

「城めぐり」のアプリの中で


「森長可の小牧・長久手合戦」という

地域限定城めぐりがあって、参加しました。


やっと3回に分けて






制覇しました。



「美濃金山城」を調べていて斉藤正義(妙春)という人物を知り、

そして森可成を知り、その子どもである

「森長可」にやっと辿り着きました。


「信長協奏曲」好きだったなぁ。

森可成がでてきていますが、

「森りん」なんて言われて気弱な感じで

初めて出会ったので、ついそれが

思い出してしまいます。

(余談ですが)




森可成の次男である「長可」が

第二代美濃金山城主になります。

可成が元亀元年の「宇佐山城の戦い」で

戦死してしまいました。


ちなみに三代目は森成利で森蘭丸、

最近では森乱丸とも言われています。


どうする家康」では、城田優さんが

森長可役をしていて、

なんか家康側の話なので

あっという間に

池田勝入(恒興)役で徳重聡さんと一緒に退場

しちゃっだのが残念。


長可と池田はこの長久手で討死にしました。







長久手資料館でいただいた資料より




今回「どうする家康」を見ていて
関連している場所に行って歴史を楽しんできました。

「小牧・長久手の戦い」と言いますが、

「小牧山城」は家康が本陣を置いたところで
「長久手の戦い」といっても過言ではないくらい
長久手にはたくさんの戦の痕跡がありました。
しかし住宅街になっていて碑はあるのですけれど、
ほとんど住宅地化されていたりしてしまっています。








長久手城主加藤忠景の居城で、
忠景は織田信雄に仕え、
岩崎城主・丹羽氏次の姉を妻としていました。





長久手市郷土資料室でいただいた

資料をもとに廻ってみました。






血の池公園






長久手の合戦での主戦場となったところで、

ここは家康家来の渡辺半蔵などの武将が、血槍や刀剣を

洗ったことからこの名がついたそうです。















武蔵塚










勝入塚