前回に書いた私に感謝する時に思い浮かべる、

私を行なってくれているたくさんの力の存在について少し書いてみようと思います



それは形ある存在ではなく、エネルギー体として私は認識しています


この世の形あるすべてはエネルギー体だとも言われていますが、"現実的に私たちの体を動かしている力"としての存在です

その力の源の精神・スピリットを感じることとも言えます


私の考え方、イメージや想像力、感じ方などを合わせてとらえています




例えば、私の体の中で心臓は私が動かそうとして動いているのではなく、ずっと動いてくれています

それは私が意思を持って、考えて動かしているのではないけれどずっと動いている

細胞もすべてずっと動いて働いてくれていて、それを動かしている力、その源のエネルギー


それは私の体に「魂というエネルギー体ひとつ」がいて動かしているのではなくて、私の体のそれぞれの場所を行なうエネルギー体がたくさんいるというイメージです



桜の木で考えると、一つのつぼみができ、それが花を開くまでのエネルギー、そして花が散り、緑の葉が生えてくる力

そのひとつひとつを木一本に行なう、たくさんの力のエネルギーの存在


この地球上で今動いているすべてのことは関係し合っていて、大きく動いている

それらすべてを動かしている力



この地球が宇宙空間の中にあって、自転や好転をしている

私の体からするととてつもなく大きな地球をずっと動かし続けているその力の源


ずっと燃え続けている太陽のエネルギー、その力の源


私たちの体にも同じ力が働き、私のすべてを行なっている、いのちのスピリット、宇宙の意識・意思で動いていると感じる力



私の体がこの大きな宇宙の中で、小さな単体の形として存在して活動しているように、

その私を行なう力の存在は見えはしないけれど、無数の細胞のように、"私の体を動かす力=エネルギー体"として存在していると感じています



この形ある世界がすべてエネルギーで形造られているという目で見た時、1人の人として形になっているその場所には、その人のもとになる魂と呼ばれるエネルギーのかたまりのようなものがあって、それを行なうために無数のたくさんのエネルギーの存在が集まり、ひとつのエネルギーのようになって動いている

そういうイメージを私は持っています


地球上の上で、私のこの体は小さな一つの形として存在していて、形になるためにエネルギーが集まって私になっていると想像すると、


富士山などの大きな山にはものすごく大きなエネルギーが働いて大地があの形を作っています

そのエネルギーを想像すると山そのものを御神体と呼ぶその感覚が感じられます


ずっと燃え続けて、遠く離れた地球の生命を育むほどの太陽のエネルギーはどれだけすごいのだろうと感じています




私にとってこのように感じたりそうとらえたりすることで、いのちや宇宙に感謝するイメージになっています


私自身の行ないのことで「今日は良いことができた」「あれは失敗した」など

自分の行ないを良し悪しでただジャッジするのではなく、自分を責めることもなく、私自身を客観的に見る視点ができたり、自分に素直に感謝することができるようになったり、自分のことを愛おしく感じたりすることができています


そして、感覚やイメージでとらえるというのがとても大切だと思っています



私たちは社会が出来上がった中に生まれてきて、

そちらに意識がいくことが多いですが、

地球や宇宙の働き、生きているこの体の力の根本的なところを感じて、その意識で全体と繋がるようなイメージを常に感じていたいと思っています