長文になります。
あくまでも私の一方的な気持ちです。
障がい児親子水泳教室が終わり、ロビーで世間話をしていたときのこと。
視覚障害のある女の子のお母さんと
地元の新聞に載っていたある記事についての話になりました。
県立の盲学校にお勤めの教職員が、視覚障害の方の点字ブロックや白杖を使った歩行訓練士の資格を取得したという記事がありました。
記事によると、以前まで在籍していた歩行訓練士の資格のある教職員が定年退職してから約10年弱もの期間、盲学校には歩行訓練士が在籍していなかったというのです。
読んだとき、正直驚きました。
今までの10年弱の期間、指導できる人がいなかったの?
子ども達はどうやって練習してたの?
国語や算数などの勉強はもちろん大事だけど、歩行は命を守るために、そして自立するためには何より大切なことなんじゃないの?
それをちゃんとした知識のない人がどのように指導していたんだろう。
という感情になりました。
保護者の方も、
それを教えて欲しくて、遠いけど通うことにしていたのに、今まで専門の職員がいなかったんです。
とおっしゃっていて、私も同調しました。
私は水泳指導者の資格はベビーから高齢者まで、健常者、障がい者の指導資格を取ってきました。
自分が親の立場なら、ただ泳げるだけの人に教わるより、資格や実績のある人に我が子を預けたいと思うからです。
ボランティアなら、自分の経験で出来る範囲の指導をすることもあると思いますが、仕事として月謝をもらったり、給料をいただく立場である以上はそれ相応な知識や資格が必要だと思っています。
そんな話を保護者の方と話していると、女の子が
「私の学校は変じゃありません」
とポロポロ泣き出してしまいました。
いやいや、「変」なわけではないでしょう。
どの教職員も一生懸命だと思います。
が、
プロ意識が薄いというか、
どうせ数年で異動になるという責任感のなさというか、
自分は見えてるからあまり歩行訓練に関しては重要視してないのではないか、
他の誰かがやればいいと思っているんじゃないか。。。
10年弱もの長期間、不在ともなればマイナスイメージが付いても仕方ないのではないでしょうか。という意味の会話でした。
その子は
「普通」
とか、
「変」
とか、
「違う」
という言葉を聞くと、全く関係のない話でも自分の事として受け入れてしまうそうです。
感情が豊かなんですね。
会話の聞こえないところで話せばよかったな。と反省しました。
ほんと、反省。。。
家に帰り、ポロポロ泣いてるあの子に、どう私の気持ちを話すべきだったのか考えながら
「普通」
「変」
「違う」
という感情は
自分基準
なんだなぁとしみじみ思いました。
「普通はこうだよね」
「それは変だ」
「その考えは違う」
普段から無意識に湧き上がる感情ですが、その感情自体が
他の人からすれば
普通ではなかったり、
変なことだったり、
違うことなのかもしれないのだなぁ。と。
盲学校にこれまで歩行訓練士が在籍していなかったことも、もしかしたら何か理由があったのかもしれません。
学校に通っている生徒が不便を感じず、資格取得のためにその先生が不在となる時間の方が惜しいのであれば、資格にこだわる必要がないのかなという気持ちになりました。
いろんな考え方があるということは理解すると同時に、
私は私が理想と思う指導者になるために、自分に出来る努力をし、日々変化する指導方法にアンテナを立て、安心して任せてもらえる指導者を目指していこうと誓ったのでした。
重い内容になりましたが、読んでいただきありがとうございました。
そして再確認する機会を与えてもらい、今日の日に感謝します。
色の変化が綺麗でした。
