7月2日(土) 



蒸し暑いような
時々ひんやりした感じの風が吹いてきたりして…
妙な一日でした。
・・・津和野路のつづきです。
朝の瑠璃光寺も有難く見学させて頂いた私たちは
萩市内に向けて坂堂峠を越えて※萩往還を通って萩市に入りました。
※萩往還(はぎおうかん)
参勤交代道や山陽道への連絡道としての機能の他、日本海側の萩と瀬戸内側の商港であった中関港とを結ぶ役割もあった。
現在は萩往還のルートの大部分が国道262号として整備されています。
その萩往還を通ってまず最初に向かったのは
この方の所です。
昨年の大河『龍馬伝』でもその魅力を十分に発揮されていましたね。
高杉晋作は、萩の城下菊屋横丁で父小忠太、母道の子として生まれました。
高杉家は代々藩の重要な役職についていました。
幼少時代は剣道に励みたくましく育ち、19歳で吉田松陰の松下村塾に入門します。
吉田松陰の下で培った「草莽崛起」(そうもうくっき)思想…すべての人が身分に関係なく世の中をよくするために立ち上がろうという思想をもって奇兵隊を結成しました。
1839 9月27日長州で生まれる。
1849 天然痘(てんねんとう)という病気にかかる。
1857 吉田松陰が主宰する松下村塾に入学する。
1849 天然痘(てんねんとう)という病気にかかる。
1857 吉田松陰が主宰する松下村塾に入学する。
1860 長州の女性と結婚する。
1861 江戸に留学する。
1862 尊王攘夷運動に参加する。
1863 下関戦争に参加するが、敗れる。
1863 奇兵隊を結成する。
1864 功山寺(こうざんじ)でクーデターを起こす。
1867 27歳の時、死亡する。
1861 江戸に留学する。
1862 尊王攘夷運動に参加する。
1863 下関戦争に参加するが、敗れる。
1863 奇兵隊を結成する。
1864 功山寺(こうざんじ)でクーデターを起こす。
1867 27歳の時、死亡する。

≪生家≫

中の撮影もOK!でした。



初湯の井戸



生家周辺の様子

クリックして下さいネ。
画面が拡大されます。
いろいろな方の短歌がありました。

クリックして下さいネ。
画面が拡大されます。
もちろん
晋作さんのもありました。
<西へ行く…>は、文久3年3月に、いくら自説を説いても、周りの理解を得られなかった晋作が、「それでは自分の時代がくるまで10年間お暇を頂きたい」と藩に願い出た頃の作品だそうです。

動けば雷電の如く、
発すれば風雨の如し
そのようにいわれていた高杉晋作さん…坂本龍馬さんと同じく若くして亡くなったのが、本当に残念な方だったと思います。
発すれば風雨の如し
そのようにいわれていた高杉晋作さん…坂本龍馬さんと同じく若くして亡くなったのが、本当に残念な方だったと思います。
龍馬さん同様に長い歴史を通して、ずっと愛されているのは純粋に日本を想う熱い心の持ち主だったからだと思います。
この地に来て…
晋作さんと語り合ったような気持ちになってしまいました。
不思議な感覚…
『今の日本を これからの日本を
広く強い心で見守っていて下さい。』
萩の旅 つづきはまた・・・
"Have a good day."