韓流ドラマ「赤い袖先」が最終回だったのですよ。
時代劇だけど恋愛要素たんまりのドラマだったのですよねぇ。
最後は悲恋になるのかなぁ?
宮女は正室の次にくらいの高い《嬪》にまで上りつめて世子までなしだけど病気でその子は早逝。そして本人も若くしてなくなるのですよ。
このあたりは「イ・サン」と同じかな?この王様この宮女が本当に好きだったのかなぁ?ドラマに何本もなるくらいだから?それとも韓国特有のこうであってほしいという願望なのかなぁ?
で、この宮女は最期まで王様には本心を見せないように悪態ついて逝くのですけど…まぁそれがちょっとジーンときて…気がついたら涙が…でしたねぇ。
「本好きの下剋上」の二次小説読んでても出てくるんですよ。フェルディナンドがローゼマインに自分を置いて逝くなと言うのが。
ユルゲンシュミットには名捧げというものがあって魔石に自分の名を刻んで捧げるというものが。その魔石に魔力を注ぐとその魔石に刻んである名前の人の命をを好きにできるというか、自分が死んだら道連れにできるというか。それをフェルディナンドはローゼマインに捧げるのですよ。
「君のいないユルゲンシュミットで生きる事はできない」って言って魔石を捧げる。
でも大半はローゼマインは受け取らない。ローゼマインにしたら愛する人には生きていてほしいから。
私も後に残されるのは嫌だなぁと常々思っています。
母に先立たれた父の姿を見てるから余計に思うのかもなのですけどねぇ。
芸能界で、津川雅彦さんが奥さんを見送って3ヶ月位で自らも亡くなったとか樹木希林さんも半年ぐらいで内田裕也さんが亡くなって…これって津川さんは奥さんを見送ってホッとしてこれまた1人で居たくないって思ったのか?
内田裕也さんは樹木希林さんが1人で残しておくのは心配で連れて行ってしまったのか?
偶然何でしょうけどなにか力が働いたとしか思えないんですよねぇ。
よく男性が残されるとあまり長生きできないと言いますけど…私も残されてしまったら多分早くに逝くと思うのですよねぇ。
まぁもうすぐにアラ還ですからあと何年生きるにしても未亡人の人生長いのは嫌だなぁと。
フェルディナンドの気持ちがよく分かるというか…
勿論、長生きして世の中がこのあとどう変わっていくか見たい気持ちはずっとあるのですけど…それでも子供が居たとしても夫が居なくなるのは嫌だなぁとホントに思う。
まぁこの世には名捧げ石は存在しないから一緒にというのはないですけどね。「本好きの下剋上」は亡くなることは《高みに上がる》と表現して階を上っていくって言うのですけど日本だと《三途の川を渡る》で、この場合亡くなって1番会いたい人が迎えに来ると言われてますけど…
「本好きの下剋上」のように手を繋いで一緒にというのも憧れますけど日本だから迎えに来てもらうのが正解なのかなぁ。
夫はどちらが先でも迎えに来てと迎えに行くと言い合ってますけど…
でもまぁあと20くらいは先がいいかなぁと思ってるのですけどね。