先日、オランダのリンブルグ州マーストリヒトへ行ってきました。

リンブルグ州の東隣りは直ぐドイツ。

少し足を伸ばしてドイツは”アーヘン”を訪れました。

アーヘンは約8世紀頃にローマからカール大帝という方が来て、この地でヨーロッパほぼ全域を統治していたようです。

私はヨーロッパの歴史に疎いので、これを機に調べてみたいと思いました。

 

アーヘンの街は兎に角古い建物がいっぱいびっくり

↓アーヘン大聖堂の一部でもある市庁舎側面。

 

↓アーヘン大聖堂正面

 
アーヘン大聖堂のツアーに参加しました。その資料を下に転記して記載します。

 

【大聖堂の歴史】

アーヘン大聖堂の歴史は1200年にも及び、その始まりはカール大帝(814年1月28日アーヘンにて死去)の時代にまで遡ります。

フランク人の支配者としてカール大帝は、父から受け継いだ大室の領地をプファルツと呼ばれる居城にまで広げました。このプファルツ部分のみ知られています。

プファルツの中心地は、王の間(現在のアーヘン市庁舎)、宮廷学校、聖母マリア教会などから成ってました。

本教会(今日の大聖堂)は、ほとんど傷を受けることなく残っているカロリング朝プファルツの唯一のの物であり、以下の3つの理由から、ヨーロッパの文化的な歴史において非常に重要とされています。

  1. アーヘンからヨーロッパの大部分を支配していたカール大帝によって建設された
  2. 936年から1531年の間に30のドイツ王、12のドイツ女王がアーヘンで戴冠をうけた
  3. 4つの聖遺物を公開することによるアーヘン巡礼が7年ごとに行われている
 

中庭(A)

現在の中庭 ("Domhof"とも呼ばれる)は、本来のものとは異なるものの、その大きさはカロリング朝時代のものと同じ (36m x 16m)に作られています。かつての中庭は、アーチ道に囲まれており、噴水が中央に置かれていました。

教会の塔の下部分は、カロリング朝時代の石工術が用いられており、その下の玄関部分は、後期バロック様式(1788)が用いられています。尖塔部分の上部は19世紀後半(1884)に建てられました。

入口の大きな青銅の扉は、「オオカミの扉」と呼ばれており、古代の物を見本に8世紀にアーヘンで作られました。扉の重さは5トンほどとされています。

 

玄関ホール(B)

玄関ホールには「松かさ」と「雌狼」の2つの青銅彫刻が飾られておます。雌狼(2世紀)はおそらく古代の噴水像で、カール大帝の時代にアーヘンに持ち込まれたと考えられています。その用途と意味は明確ではありませんが、ロムルスとレムスの伝説を表しているという可能性があります。松かさは、1000年頃に作られたもので、かつてはコートヤードの噴水のてっぺんに据えられていたと考えられます。

 

カロリング朝時代の建設物(C)

高さ31.40mの石の丸天井の中心にある8角形は、2段に分かれた16面に渡る桟敷と東西に広がる長方形部分によって構成されています。カロリング朝時代の聖歌隊席はゴシック様式の聖歌隊席を建設した1355年に破壊されました。そのため、現在の内部装飾のほとんどは、カロリング朝時代に作られたのもではありません。モザイク画や壁画はプロセイン王国時代(1880-1913)に作られたものです。

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赤髭王とも呼ばれたフリードリヒ1世の中世のシャンデリア(直径4.20m)は1165年から1170年の間にアーヘンでフリードリヒ1世と、その妻ベアトリス1世の寄付のもと作られました。このシャンデリアは聖地エルサレムのヨハネの啓示を表現しています。

 

祭壇の右側には、アーヘンの聖母マリアの素晴らしい像が建てられています。この聖母マリア像は基本的には14世紀に作られたもので、この教会の守護聖人を表現しています。17世紀からは、ドレスや宝石を聖母マリアに捧げることが習慣となり、そのために、彼女はアーヘンで最も富貴な女性と言われているのです。

 

聖歌隊席(D)

聖歌隊席は1414年に神に捧げられました。巨大なステンドグラスの高さは25m以上、その大きさは1000㎡程です。現在のステンドグラスは1949年から1961年の近代的なデザインを元に作られたもので、中世のステンドグラスを再現しようとしたものではありまでせん。

 

丸天井の光り輝く円形シャンデリアから吊り下げられている聖母マリアは、1524年にマーストリヒトで、ヤン・ヴァン・ステフェスウェルツによって彫刻されました。聖歌隊席の中央には、神聖ローマ皇帝オットー三世(1002年死去)が、彼の遺品の入った石棺と共に埋葬されています。

 

それに加え、聖歌隊席にはアーヘン大聖堂の2つの礼拝堂があります。アプスにあるカール大帝の礼拝堂がより古くからあるものです。1215年からカール大帝の遺品はその礼拝堂で保存されています。(1165年に列聖)。この礼拝堂はアーヘンで作られ、その切り妻部分には、ローマ教皇レオ3世、ランスの大司教ターピンと共にカール大帝が、そしてその側には、16人の中世の支配者が描かれています。彼らは、寄贈者としてこの教会と特別な関係を築いていました。また、反対側の切り妻部分には、大天使ガブリエル・ミカエルと共に聖母マリアが描かれています。その上には、キリスト教の三元徳である信仰・希望・愛が具現化されています。

 

聖母マリア大聖堂は1237/38年頃に完成しました。聖母マリア大聖堂には、聖母マリアのドレス、赤ん坊イエスのおむつ、イエス・キリストの腰布、洗礼者ヨハネの首はねの聖職服が、アーヘンの主な4つの聖遺物をとして所蔵され、崇められています。切り妻部分には、12人の使徒が聖母マリア、カール大帝の側に描かれています。これらの聖遺物は、1349年から一般公開されるようになり、巡礼は今日まで7年毎に行われてきました。

 

展示室(階上E)

カロリング朝時代の曲がりくねった階段は、階上の玉座へと続いており、そのには36の古代の柱と8つのカロリング朝時代の青銅製柵があります。

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最新の調査によれば、玉座は8世紀終わりから9世紀初めにかけて、教会の初期装備として作られました。カール大帝が、自身の玉座として使用したかは定かではありませんが、936年から1531年の間に30もの王が戴冠式でその玉座を使用したと言われています。カール大帝自身はアーヘンで戴冠を受けることはありませんでしたが、その玉座に座ることで、新たな王はカール大帝のあとを継いでいきました。

カール大帝は768年にノワイヨンでフランク王国の王となり、800年のクリスマスの日に神聖ローマ皇帝としてローマで帝冠を受けました。

玉座は、4つの古代大理石板を青銅の留め具で固定して作られています。玉座へと続く階段は6段から成り、その一部は古代の柱から彫刻されています。この階段の段数は、旧約聖書のソロモン王をほのめかすものと考えられています。

聖堂で使用されている柱の殆どは、古代のもので、大理石と花崗岩から作られたものです。それらは、ローマとラヴェンナにあったもので、聖堂には798年に導入されました。これらの柱は、柱としての固定的な機能を持つものではなく、装飾のためだけに用いられています。

柵は8世紀のアーヘンで、今はもうないろう型を用いて塑像され、豊富に装飾されています。