コロナ渦で開催された東京2020オリンピックでしたが

オランダのメダル数は36個と、これまで最高数を獲得しました!(パチパチ)

こんな小さい国なのに順位は7位です!!

 

このメダル獲得数に貢献したアスリートの一人が「シファン・ハッサン

陸上女子5,000メートルと10,000メートルで金メダル、1,500メートルで銅メダルを獲得しました!

 

先日、オランダ語の教室で彼女の生い立ちについて勉強する機会があり、

更に彼女を応援したくなりました。

(写真はNOS.nl サイトより)

 

〜生い立ちについてのまとめ〜

シファン・ハッサンはエチオピア出身で、15歳のときにオランダへ送られてきました。

エチオピアで暮らしていた頃は、日々の暮らしが難しかったけれど、走ることが大好きで、厳しい日々を乗り切れました。

オランダへはパスポートもなくたった一人で送られ、当初は避難所で寂しくしていました。

その後、フローニゲンで母親代わりのオランダ人女性の元で生活を始め、ランニングもまた始めました。

 

そして、アイントホーフェンで一人暮らしを始め、地元の陸上競技クラブへ入りました。

彼女の瞬足は直ぐにオランダナショナルコーチの目に留まりました。

オランダ陸上競技協会は彼女のパスポート取得を支援し、取得後はオランダのためにレースを始め、次々とタイトルを獲得しました。

 

そして、シファンは彼女ならではの方法を見つけ、彼女が最も好きなこと、走ることを続けました。

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東京2020オリンピックで大活躍できて本当に良かった笑い泣き

閉会式ではオランダの国旗を持って会場へ入場し、5大陸のヨーロッパ代表として登壇もしました。

今後も活躍を楽しみにしています照れ

 

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<オランダ語の本文>

Sifan Hassan

Atleet

 

Er was eens een jong meisje uit Ethiopië dat het moeilijk had thuis.

Sifan woonde eerst bij haar moeder en later bij haar oma.

Ze hield enorm van hardlopen en dat hielp haar door de zware dagen heen.

Haar motto was: ‘Een dag niet gerend is een dag niet geleefd.’

 

Op haar vijftiende werd ze naar Nederland gestuurd, helemaal alleen, zonder paspoort en zonder ouders.

Ze kwam eerst terecht in een opvangcentrum waar ze erg ongelukkig en eenzaam was.

Pas toen Sifan in Leeuwerdien ging wonen, bij een vrouw die als een moeder voor haar zorgde, kwam ze weer een beetje tot zichzelf.

Ze pakte ook het hardlopen op, want dat was wat ze het liefst deed.

 

Toen ze op zichzelf ging wonen in Eindhoven schreef ze zich in voor de plaatselijke atletiekclub.

Ze viel meteen op bij Nederlandse bondscoach, want Sifan was de allersnelste!

Hij vroeg haar om lid te worden van zijn team.

Daar hoefde ze niet lang over na te denken.

 

Kort daarna verhuisde ze naar Arnhem.

De Nederlandse Atletiekunie probeerde haar zo snel mogelijk aan een Nederlands paspoort te helpen.

Toen dat eenmaal was geregeld, kon Sifan wedstrijden gaan rennen voor Nederland.

De bondcoach had het goed gezien, ze haalde de ene na de andere title binnen.

Ze was zelfs de eerste vrouw in de geschiedenis van de atletiek die wereldkampioen hardlopen werd op de 1500 meter en 10,000 meter.

 

En zo vond Sifan haar eigen weg, door te doen wat ze het allerliefst deed, heel hard lopen.

 

Geboren op 1 Jan., 1993

Tekst: Maria Lan

 

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<日本語訳してみました>

シファン ハッサン

アスリート

 

以前、エチオピアで難しい暮らしをしていた少女がいました。

シファンは最初は母親と一緒に暮らし、後に祖母と一緒に暮らしました。

彼女は走ることが大好きで、それは厳しい日々を乗り切るのに役立ちました。

彼女のモットーは「1日走らなければ、その1日は無駄になってしまう」です。

 

15歳のとき、彼女はパスポートも無く、両親も無く、一人でオランダに送られました。

彼女は最初、とても不幸で孤独な避難所に着きました。

シファンは、母親のように世話をしてくれた女性と一緒にレーヴェルディエンに住むようになり、彼女は少し自分自身を取り戻しました。

彼女は、彼女が最も愛したランニングをまた始めました。

 

彼女がアイントホーフェンで一人暮らしを始めたとき、彼女は地元の陸上競技クラブに申し込みました。

シファンは駿足だったので、すぐにオランダのナショナルコーチの目に留まりました!

彼は彼女に彼のチームに加わるように頼みました。

彼女はそれについて長く考える必要はありませんでした。

 

その後まもなく、彼女はアーネムに引っ越しました。

オランダ陸上競技協会は、彼女ができるだけ早くオランダのパスポートを取得できるように支援しました。

それが手配されると、シファンはオランダのためにレースを始めることができました。

ナショナルコーチはそれを良く見ていて、次々とタイトルを獲得しました。

実際、彼女は1500メートルと10キロで、陸上競技の歴史上初の女性世界ランニングチャンピオンになりました。

 

そして、シファンは彼女ならではの方法を見つけ、彼女が最も好きなこと、非常に速く走ることを続けました。

 

1993年1月1日生まれ

テキスト:Maria Lan