この言霊学の基本については、実践形而上学的言霊学1~3の記事で説明させていただいていますので、あらためてこの実践形而上学的言霊学について知りたい方は、こちらをぜひお読みください。
※ヲシテ - Wikipedia をご参照ください。
これまで同様、自分なりの解釈(妄想です)を施していきたいと思います。
今回取り上げるのはマ行です。これがどういう父音を持っているかというと、横の棒から縦の棒が下がっている丁の字です。
母音に横の棒がかかりそこから縦の棒が下がっている丁の字は、天から零れ落ちてくるものと捉えます。
すなわち、
自身のうちに天地を結ぶ処のものを生きるあなたは、また、第一に、自身の上に天から零れ落ちきたる処のものを受け止める<マの魂>と、
第二に、自身の上に天から零れ落ちきたる処のものに自身を毀ち<ミの魂>、
第三に、自身の上に天から零れ落ち処のものを生き始め<ムの魂>、
第四に、定めなく自身の上に天から零れ落ちきたる処のものを生き<メの魂>、
第五に、自身の上に天から零れ落きたる処のものを生きた<モの魂>のです。
※ここで「毀つ」は「清める」と言い換えてよさそうかもしれません。
じっさい、神と向かい合うとき、そのままではなく、清めということを行っていたのです。
この天から零れ落ちきたるものについて思い浮かべやすいのは、雨でしょう。
天の字はもともとアメで、のちアマとも読まれ、アメ、アマから零れ落ちてくる雨ものもまた、アメ、アマということから、天と雨はこの国において一体のものだとわかります。
雨、すなわち水は、天と切っても切り離すことができない関係であり、さらに雨がもたらす水は、私たちが生きてゆくうえで欠かせないものであり、それはこれからも変わりません。
すなわち、
水(ミ)は天(メ、マ)が御身(ミ)を毀つことで、雨(メ、マ)として地上に降らせた天(メ、マ)自身(ミ)であり、
地上に天(メ、マ)の御身(ミ)として、あまたの命を生む(ム、苔生すのム)処に、草木を芽(メ)吹かせ、実(ミ)のらせることで、地上を、あま(マ)たの命が萌(モ)え出ずる処のものにしているのです。
あなたは、この有り様(マ)を我が身(ミ)に受けとめ(メ)ると、このように理解したのです。
天(メ、マ)は御身(ミ)を毀ち、自身の分身たるものをあなたの身(ミ)の上に下らせると、あなたを芽(メ)吹かせ、あなたの命を生む(ム)処のものに、地上を、あなたの命であるものに萌(モ)え出ずる処のものに在らせているのです。
次回は、父音のタ行について取り上げます。
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