お別れのご挨拶と、第14回「あなたを肯定することで世界は存在している」 | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

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世界とは、貴方について書かれた書物である。

突然ですが、ここで皆さんにお別れをしたいと思います。

 

 

2012年の1月からこのブログを始めて丸7年続けてきましたが、これ以上続けるのは困難になりました。

 

 

理由としては詩作に専念したいためです。

 

 

ブログ上で詩作のバッグボーンである「臨床形而上学」を繰り広げてゆくつもりでいましたが、時間的な制約の中で詩作との両立はもはや困難という判断に至り、迷いはまだありますが、ここはさっぱりブログを辞めるのがよいと結論しました。

 

 

最後に、「臨床形而上学」の第14回をお送りしたいと思います。

 

 

急遽最終回の第14回は、「あなたを肯定することで世界は存在する」です。

 

 

あなたは、肯定する処のものに現わされている。

 

 

それは、そうでなければならない。

 

 

というのは、そうでなければ、世界は存在することができないからです。

 

 

あなたというピースがあって、世界は自身を現しているからです。

 

 

あなたを否定することは、世界自身を否定することになるのです。

 

 

しかし、あなたはこう思うかもしれません。

 

 

でも、現に世界は個人を否定することがあるのではないか。

 

 

また、神のような存在だって、人間を罰したりしているではないか。

 

 

たしかにそのように見えるでしょう。

 

 

しかし、それは、あなたの存在を肯定していることの裏返しなのだと、私ははっきりあなたに言いたい。

 

 

あなたの存在があるからこそ、あなたを否定するのです。

 

 

あなたの存在がなかったら、否定のしようがない。

 

 

肯定の反対語は否定ではない。

 

 

肯定の反対は無視、無関心です。

 

 

あなたに対して無視や無関心でいることができないからこそ、あなたを否定しようということが行われるのです。

 

 

そして、また、世界や神といった存在もまた、あなたと繋がりを持つことができなければ意味がない。

 

 

ということは、あなたもまた、世界や神といった存在に対しても無視や無関心でいるべきではないのです。

 

 

あなたもまた、世界や神といった存在を現わしているともいえるからです。

 

 

はっきりと言いましょう。

 

 

世界や神といった存在は、じつは、あなたの似姿なのです。

 

 

さらにいえば、世界とはあなたのことであり、神といった存在はあなたの内なる魂のことなのです。

 

 

このことを最後にあなたに述べて、このブログを終えようと思います。

 

 

では、7年間、大変お世話になりました。あなたにとても感謝しています。

 

 

断続的ながら、ここまで続けてこられたのもあなたのおかげです。

 

 

また、いずれあなたとお会いすることになることを祈念して、ここはいったん、お別れをしたいと思います。

 

 

さようなら

 

 

   瞑想するねこ(エミシヲ)