第12回 あなたが一なるものを生きることで、あなたを現すものがあることができる | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

一なるあなたがあって、あなたを現わすものがあることができる。
 
 
このことを考察したいと思います。
 
 
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教(ヘブライズム)の特徴を一言でいうなら、一神教であるということです。
 
 
そして、この一神教が今日にもたらした最大のものは、個人という思想なのではないかと考えられます。
 
 
個人という思想は、八百万の神が鎮座する日本をはじめとする多神教の地域ではなかなか発達しない発想だと言えます。
 
 
 
多神教の神は、個人のさまざまな要求に応じて存在することになり、神が一面的であるのに対して、人間の方が多面的であり、神と人間の関係でいえば、人間の方が主になる。
 
 
それがゆえ、人間本位の神が造られたので、一神教を奉ずる人たちはこれを邪教として批難したのです。
 
 
それに対して、一神教では、神は人間と同じく多面的である一方、人間を超えた存在となり、神の関係で、人間は個としての自分を深めてゆくことになるのです。
 
 
キリスト世界の欧米で民主主義の思想が発達したのも、一神教を抜きにしては考えにくいことかもしれません。
 
 
また、一神教は、神についての探究を深遠なものにしました。
 
 
それは、一なる神は、あなたが一なるものであるということと密接であり、一なる神の探究は、人間の一なることの探究に繋がっているからです。
 
 
中世のヨーロッパは、神の時代と言われますが、神についての知解を深めることで、やがて来る、ルネサンス以降の人間知解の道を準備したのです。
 
 
一神教の神は、個としての人間の精神の発展にとても大きく寄与してきたのです。
 
 
ただし、宗教に基づく戦争という負の遺産を引き継いでもきました。
 
 
それは、神が人間にとても密接な存在であったということの表れです。
 
 
多神教の世界では、神と人とは断絶しています。
 
 
多神教の神は、人間が近づくことができぬ存在です。
 
 
しかし、一神教の神は、人間が近づくことを求める存在です。
 
 
神と人間とが一対一の関係になることを求める。
 
 
神と一体になることを求める。
 
 
それがゆえ、神は、個の思想を形成したきたのです。
 
 
一方、多神教の神は、けっして神と一体になるようなことを求めない。
 
 
それは、むしろ危険な行為になるのです。
 
 


このブログを考えている間に、ようやくにして、自分が考えるもの、形而上詩ともいうべきものが完成の日を見ました。
 

これを最初のものとして、次々と手がけ、世に問うてゆきたいと願っています。
 
 
 

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