あなたは、自分が、なくてはならないものであるのが、あるがままのものであることを知っている。
自分がなくてはならないものであることを通して、あなたは、あるがままのものを生きているのである。
また、あなたは、自分が、あるがままのものに生きることが、なくてはならないことであることを知っている。
あるがままのものを通して、あなたは、なくてはならない自分を生きているのである。
この両者の違いは、前者が、必要なことは、ただあるがままの自分でいられることだけだ、と言っているのに対して、後者は、あるがままの自分でいられることは、自分にとって必要なことの一つである、と言っていることである。
ただ一つのことに基づくのか、それとも多様なものに基づくのか。
しかし、自分があるがままでいることが必要なことだと言ってることでは、両者は合意しているのである。
じつは、この両者の違いは、自分が置かれている状況と切り離すことができない。
あるがままの自分だけが必要というのは、まさに自分に足りないものが、あるがままの自分であって、それこそが、当面自分が求めるべきものであるとしているのである、
また、あるがままの自分が、必要とするものの一つというのは、物事をゆっくり落ち着いた状況の中で考える余裕の中で、多様な自分を認めているものであろう。
あるがままの自分でいることは、自分が自分でいる上で、とても大切なことではあるが、それは自分が無防備になることである。
あるがままの自分だけではなく、自分をよそおうことも、時に必要なことなのである。自分をよそおうことは、けっして悪いばかりではないのだ。
あるがままで自分がいられるためにも必要なことなのである。
そして、よそおう自分を嫌になるのも、あるがままの自然のことである。
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