大変、久しぶりの更新になりました。
この一年くらいの間、なにをしていたかというと、自分の哲学的思索上の大転換を行っていました。
近々、みなさんに、その思索をご覧いただこうと願っているところです。
なぜ自分が哲学に関心を抱いてきたかというと、それは、いかに人が互いを理解しあえるか、その答えを求めてきたといえるのではないかと思います。
(あ、今、書いているブログが途中で消えてしまいましたが、すぐ復活できました。しばらくブログを書いていなかった間に、こういう機能ができたことは助かります(笑))
そもそも今日、哲学界においては、形而上学をやたら難解で、役に立たないものとしてきた感があります。形而上学批判をすることが、現代の、少なくとも20世紀の哲学だったわけです。
しかし、形而上学は、今日においてまったくすたれたわけではなく、むしろ、しぶとく生き残ってきているのです。
形而上学批判は、カントが叡智界と現象界とを分かつこと、すなわち、誰もモノ自体について知ることはできない。ただ現象のみを理解するだけであるとする見解から開始されたと理解されますが、その実は、カント自身は実践の場における形而上学を推奨しているのです。
モノ自体を理解することはできないが、行為そのものについては理解することはできる。この確信こそ、自分が生きることの確信なのです。
私がこの一年をかけてやっていたことは、まさにこの自分が生きることの確信の哲学、実践の形而上学です。
実践の?形而上学?と不思議に思われる方もいられるかもしれませんが、さらに、それに命題集を付け加えたいと思います。
すなわち、実践形而上学命題集です。
命題集とは、それは正しいことか、違うことかを考える命題を集めたものということですが、じつはそんな大げさなものではありません。
いってみれば、哲学と詩の間のようなものです。
哲学の素養のない人でも、極端なことを言えば、理解できるか否かは別にして、中学生くらいの方でも読めるものです。
また、そういうものでこそ、本物だと思うのです。難解なものが、哲学ではないのです。
誰にも分る言葉で、誰もが考えることができるものこそが、真の哲学なのです。
ただ、人生の奥深さを伝えるのは、難しいことは間違いないことですが・・・。
では、みなさんにご覧いただけるよう、いま一生懸命まとめているところですので、今しばらくお待ちください。