人生は、自分が存在していることの意味を生きるためにある | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

第7項 アルケー=オン
 
私があるということは、とても奇妙なことだ。
 
なぜなら、私が在るのは、自分の意志によってではないからである。
 
むろん、私は、自分が在ることに対して責任がある。
 
その意味で、私は自分を有らしめているといえる。
 
しかし、そもそも私は自分で自分をこの世界に在らせたわけではない。
 
私ではないものの意志によって、この世界に在るようになったのだとしか言えない。
 
自分の意志によって在るのではなく、しかし自分の意志によって有り続ける、この私というのは、いったいなんなのであろうか。
 
私とは、私であって、同時に私ではないものなのだということは?
 
私というのは、この私の肉体に一時的に保管されている(?)のに過ぎないのだ。
 
当然、すべての存在についても、同じことが言える。
 
存在とは、在るとも無いともいえる矛盾である。
 
自身によって存在しつつ、しかし、自身によっては存在したことが一度もなかった。
 
それ自身ではなく、それ以外のものによって在るところのもの。
 
この疑問に対して、ある人は自ら在る存在としての神を言い、ある人はあらゆる存在を創造した宇宙の原理を唱えたのである。
 

存在が存在そのものではなく、他のものによっていることを言葉に表したものこそ、アルケーにほかならない。

 

それは、真理とか原理という言葉に期待されるものである。

 
自分を自分たらしめ、この世に有らしめているものを知ること。
それこそ、生きるということの根本の意味であり、人生の目的もまた、自分をこの世に有らしめている意味を生きることなのだ。
 
※アルケー~「原理」「起源」、ここでは、問いに対する答えの意味で用いる。オン~「存在」。