克服された自分の恐れであるものが、あなたから偏った不純なものを取り除ける | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

「天使はまた私に言った。

『聖者の教会の純粋な柱、聖なる神の神殿を汚すものすべてから身を純潔に保った者、おお、罪なき者よ、あらゆる罪の慰めよ、あなたを介して私たちの偉大な神の純粋な意志は強められるだろう。

おお、私たちの甘美な神の高貴な本性を知覚し、それによってかつてあり、今なおあるすべてにもまして、これほど早く純粋な貞潔を選び取り、一瞬たりとも躓いたことのない者よ、さあ、真中の三本の枝の意味を掴むがよい』。

そして私は理解した。

(中略)

 葉に白い心臓が描かれた真中の第一の枝は、習慣と言葉と行為における身の潔白だった。

第二の枝は、各人の態度における潔白と純粋さへの願望と、私たちの愛する者の望む行動をとることだった。

第三の枝は迷い、驕り、空疎な栄光、絶望、人がまだもたない過大な希望といったいかなる卑しさも入り込まないように、精神、希望、魂をあらゆる汚れから純粋に保つこと、そしてまた人がすでに所持するものへの過剰な喜びや、人が失ったものへの過大な悲しみ、あるいは感情や満足に屈服しないということだった。

人は愛をその価値に見合うだけ十分長くもち続け、愛がふさわしい業(わざ)で十分成熟し、愛をもつことよりはるかに豊かな感情に至る日まで、満足してはならない。

なぜなら愛をもつことは、好意を示し、望み、欲し、仕え、燃える意志をたえず実行することだから。

愛を感じることは、その自由な姿を考えることである。

しかし愛であることはすべてに優る。」


(「中世思想原典集成」第15巻 上智大学中世思想研究所編訳・監修、平凡社刊行、2002年 ハデウェイヒ「幻視」鳥井裕美子訳よ

り「幻視一」)


自分の恐れであるものを克服したあなたは、偏りのない純粋な愛を身につけたあなたである。


自分の恐れであったものが、あなたから偏りのない純粋な愛以外のものを取り除けてくれたのである


あなたは、あなた自身とあなたの同胞たちに対する、偏りのない純粋な愛であるものを生きるのである。


自分の恐れであるものと常に向き合うあなたは、他者の恐れであるものとも向き合うことができるあなたである。


もっとも、それは、あなたが自分の恐れであるものから解放されたということではない。


あなたは、つねに自分の恐れであるものと向き合うということを続けるのである。


自分の恐れであるものと向き合わなくなったとき、あなたは偏った不純な愛に囚われてしまうであろう。


自分の恐れであるものと向き合い続けることを通して、あなたはあなた自身と、あなたの同胞に対する、より偏りのない純粋な愛であるものに向かって熱情を燃やすのである。



   *  *  *


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「プロメテウス 詩篇第1部 精霊たちとの対話」



古代ギリシアの人類神プロメテウスの解放の神話に材を採りながら、自分の中の互いに対等なものどうしの絆であるものと、自分を超えて自分を生きる自分であるものを、人類の哲学、宗教の歴史を通して解き明かす、詩篇第1部、詩篇第2部、ノートからなる哲学的文学作品。詩篇第1部は、岩山に繋がれたプロメテウスが、わたしたちの心を形象化したかのような精霊たちとの対話を通して、人間としての「誇り」と、人間を縛っているものについて語りかける。
コーカサスの岩山で。星たちのささやき。夜の雷光。地霊。愛と憎しみの精霊。自分しか愛さないもの。助けるものたち。かりそめの世界を通してかかわる霊たち。人の悲しみを通して生きるもの。控えめな心であるもの。自分しか見えないもの。自分の場所を守ろうとするもの。力づくでなそうとするもの。主なるものの秘密。完全無欠ではないこと、から成る。



「プロメテウス 詩篇第2部 哲学への問い」



古代ギリシアの人類神プロメテウスの解放の神話に材を採りながら、自分の中の互いに対等なものどうしの絆であるものと、自分を超えて自分を生きる自分であるものを、人類の哲学、宗教の歴史を通して解き明かす、詩篇第1部、詩篇第2部、ノートからなる哲学的文学作品。詩篇第2部は、岩山に繋がれたプロメテウスが、ルネサンス以降の哲学の歴史を通して、自由と幸福の問題を問いかける。
自分は間違わないという錯覚(デカルトの魂)。虚妄にこそ真実がある(ジョルダーノ・ブルーノの魂)。あらかじめ損なわれたわたし(ペトラルカの魂)。生きられる世界は、ただ一つではない(スピノザの魂)。貴方という一なる存在(ライプニッツの魂)。貴方の醒めた眼差し(モンテーニュの魂)。この世界には貴方を超えたものしかないということから離れる(バークリの魂)。自分の感覚を信用する(ベーコン、種族のイドラ)。互いのとらわれていることを大事にする(ベーコンの魂、洞窟のイドラ)。相手の言葉を信じる(ベーコンの魂、市場のイドラ)。尊敬の念から誤りも受け容れる(ベーコンの魂、劇場のイドラ)。なにものでもない貴方が、なにかになること(ジョン・ロックの魂)。偶然隣り合うことの真実(ヒュームの魂)。よりよく生き合うためのルール(ホッブズの魂)。自由に先立つものがなければならない(ジャン・ジャック・ルソーの魂)。わたしという落とし穴(カントの魂)。わたしが生きられた証である世界(フィヒテの魂)。世界がわたしの中に組み込まれている(シェリングの魂)。精神の発展に異議をさしはさむ(ヘーゲルの魂)。より大きな愛が、否(いな)まれた自己自身を手当する(ヘルダーリンの魂)。人生は苦しみであるという呪い(ショーペンハウエルの魂)。自分の運命を選びとる自由(キェルケゴールの魂)。自分が作ったものが自分を支配している(フォイエルバッハの魂)。仕組み全体を作り変えなくてはならない(カール・マルクスの魂)。どのようにも生きることができる(ニーチェの魂)。自分自身を括弧にいれる(フッサールの魂)。他者とはわたしが実存する場所である(ガブリエル・マルセルの魂)。危機的状況が世界の創造主にする(ヤスパースの魂)。限りある今を生きる(ハイデガーの魂)。ある人へ宛てた手紙(elegy)。疲れた貴方へ(help me)。わかった気になるな(ウィトゲンシュタインの魂)。思考から解き放つ(ジャック・デリダの魂)、とから成る。



「プロメテウス・ノート」



古代ギリシアの人類神プロメテウスの解放の神話に材を採りながら、自分の中の互いに対等なものどうしの絆であるものと、自分を超えて自分を生きる自分であるものを、人類の哲学、宗教の歴史を通して解き明かす、詩篇第1部、詩篇第2部、ノートからなる哲学的文学作品。ノートは、岩山に繋がれたプロメテウスが、わたしたちを超えてわたしたちを生きる精神であるものについて語りかける。
わたしがある世界。楽園からの追放。わたしを損なっているもの。貴方が創造した世界。貴方から生きられるわたし。わたしとわたしの隣人が作り出す新たな場所。貴方によって捏造されたわたし。貴方による敵の創造。思考が限りあることの認識から本当の思考は立ち上がる~パスカル。唯一のより所という錯覚~デカルト。虚妄にこそ真実がある~ジョルダーノ・ブルーノ。あらかじめ損なわれたわたし~ヒューマニストたち(ペトラルカ)。創造主の中に住まう思想~スピノザ。協同する世界~ライプニッツ。わたしの醒めたまなざし~モンテーニュ。ただわたしを生きるものだけがある~バークリ。ベーコンの四つのイドラについての真反対の解釈。すなわち、自分の感覚を信用する~ベーコン、種族のイドラ。互いの囚われていることを大事にする~ベーコン、洞窟のイドラ。隣人の言葉を信じる~ベーコン、市場のイドラ。尊敬の念から誤りを受け入れる~ベーコン、劇場のイドラ。なにものでもない自分が何かになる~ジョン・ロック。偶然の生を生きる~ヒューム。よりよく生き合うために足かせを持つ~ホッブズ。自由に先立つものがなければならない~ジャン・ジャック・ルソー。ドイツ観念論に対する批判的受容。すなわち、わたしから生きられる世界~カント。わたしが創造される世界~フィヒテ。わたしの中に世界は投影されている~シェリング。歴史の発展に異議をさしはさむ~ヘーゲル。より大きな愛が、自身を否むことの痛みを手当てしてくれている~ヘルダーリン。互いの意思が衝突しあう世界~ショーペンハウエル。実存的なものへの批判的受容。すなわち、自分の運命を選び択る~キェルケゴール。自分たちが作ったものが、自分たちを束縛している~フォイエルバッハ。仕組みを土台ごと変える~カール・マルクス。どのようにも生きることができる~ニーチェ。自分自身を括弧にいれる~フッサール、現象学。他者とはわたしが実存する場所である~ガブリエル・マルセル。危機的状況が世界の創造主にする~ヤスパース。限りある今を生きる~ハイデガー。メルロ・ポンティの身体の現象学を詳細に見てゆく。すなわち、身体を息づいているものが貴方の思考をかたち作っている~メルロ・ポンティ。内に語りかけるものがわたしを導く~メルロ・ポンティ。在る足と作る手~メルロ・ポンティ。満たされる肩と満たせる内腑~メルロ・ポンティ。庇われる背、強固なる皮膚~メルロ・ポンティ。つなぎとめられる肉身、貫き支える骨~メルロ・ポンティ。限られた目、味わう舌~メルロ・ポンティ。また、サルトルのアンガージュマンを詳細に検討してゆく。すなわち、互いに活かされ合っていることを生きる~サルトル。意識的に隣人の声に耳を傾ける~サルトル。互いを創造し合う社会~サルトル。意識的に相手を受け入れる~サルトル。積極的に相手を評価する~サルトル。積極的に支えにゆく~サルトル。積極的に目を開いてゆく~サルトル。役立つ思考~プラグマティズム。語りうることはなにかを明らかにする~ウィトゲンシュタイン。思考からの解放~ジャック・デリラ、から成る。



「プロメテウス 新しきイエス」



わたしたちは、あたらしいイエスを持たなければならない。それは自身と対等なものを持たない完全無欠の神から、互いに対等なものどうしであるわたしたちを解放するとともに、互いに対等なものどうしを生き合うことを説く、数多の宗教を統一し、万人の哲学に止揚する、新しい思想の指導者としてである。
第1部 あなたイエスが現れる前の世界はどのような場所であったか。数多のものの一部であった人類は、あるとき、数多のものから分かたれた。それとともに、数多のものを創造し、在らせる主なる神が現れるのである。神は、あなたの外から来るのではなく、あなたの内から出てくるのである。そして、それは、あなたから分かたれたものの中で、一番最後のものである。それ以前に、他者に対する憎しみは、あなたから分かれたものであった。天国とは、永遠の命への憧憬が作り出したものである。自身と対等なものを持たない主なる神は、自身と対等なものどうしを生き合う絆であるものを創造した。それが、人類神プロメテウスである。しかし、互いに対等なものどうしを結ぶ絆であるプロメテウスの下、互いに対等なものどうしを生き合うものたちは、しだいに主なる神をないがしろにしだしたので、再び主なる神に従わせるために、宗教を創造したのである。
第2部 イエスはなにをやったか。罪の子として生まれたイエスは、自分を罪の子としているものの存在と対決した。それは、互いに対等なものどうしを超えて生きる主なる神である。主なる神は、イエスを自身への崇拝者にしようとするが、イエスはこれをはねつけ、互いに対等なものどうしを生き合うべきであることを宣言する。天国はすでに来ている。それは、この場所のことであり、奇跡とは、互いを縛っている主なる神から解き放たれて、互いがより生き合うことである。自分の心を乗り越え、互いを生き合う。自分を超えて生きるもののために生きてはいけない。誰かを損なうのは、あなたではない。互いに対等なものどうしの心にしたがって生きるのである。その一方、神の孤独を生きることを勧める。神とは、互いを生き合うための知恵である。しかし、イエスに対する過剰な期待がイエスを死へと追い込むことになる。遺されるべき言葉とは、自分の求めに気づくことであり、自分の求めに気づくことで、新しき自分を生きることになるのである。自身を超えて自身を生きるものとの最後の対決。そして、十字架上で、イエスは、自身を超えて自身を生きる主なる神が、互いに対等なものどうしがより生き合われるように、見守ってくれることを祈って、息絶えるのである。
第3部 イエス亡き後、どのようにキリストのからだが受容されたか。マグダレーナとは、隣人のために自身の命を投げ捨てることを厭わない魂のことである。彼女は、師から救われた恩返しのために、隣人のために命を投げ出そうと誓ったのであった。そうして、彼女から救われたものがいた。それは、とても粗暴な男であったが、彼女を通して、純粋な魂の建物を自分の中に築くのである。イエスの教団はペテロの指導の下で、イエスの意図に反して、イエスを主なる神に祭り上げるものに変わってしまった。これに批判を展開したのが、サマリアのメシアと呼ばれた、シモン・マゴスである。その後、教団は、内側にさまざまな異端思想を生じさせることになる。モンタノス主義、モナルキア主義、アリウス主義、アポリナリオス主義、ネストリウス主義であった。そして、結局は、正統派と称するものも異端の疑いを拭い得ず、正しさが正統さではなかったことが暴かれることになるのである。



「プロメテウス 新しきシッダッタ」



プロメテウスシリーズの第5作目。仏教の開祖シッダッタは、自身を捉えているものこそ、自身を超えて自身を生きる、自分であるものであることを苦行の後に発見し、自身を超えて自身を生きるものからではなく、互いに対等なものどうしを生き合うべきであると説く。
第1章 生きることの苦しみに心が震えるのが止まらない貴方は、あるとき人生の無常を愉しむ思想に触れ、瞑想を始め、巷に聞こえる思想について吟味する。個々が生きられていることを重んじる思想、個々の正しさを重んじる思想、個々の自由を重んじる思想、個々の充足を重んじる思想、
個々の平穏を重んじる思想、個々の尊厳を重んじる思想、個々の真実を重んじる思想。それらは言ってみれば、古代の実存主義である。普遍的な真理を認めず、ただ自分の中で生きられているものだけを生きようとする態度である。貴方はこれにとても不満であった。なぜなら、貴方は誰にも通用する永遠の真理を求めたからである。貴方は自ら師を求めるべく、出家する。
第2章 王宮を出奔した貴方は、まずなにものも所有しない思想に触れる。しかし、貴方はなお不足であった。次に、貴方は考えにとらわれない思想と交わる。ここでも、貴方は自分が求めているものに出会えなかった。貴方は、自分自身の力でまだ誰も語っていない真理を見つけ出さなくてはならないと悟ったのである。
第3章 貴方は苦行の森に入る。そこでまず理不尽なことにしたがう行を行い、食を断つ行をし、襤褸(ぼろ)着の行をし、森の深くに入って誰とも交わらぬ行をし、死に至る行を敢行する。しかし、貴方は、命のゆりかごの中で、まだなにも得ていないことを気づかされるのである。
第4章 貴方は、果たしてこの自分は自分が求めているものであろうかと疑念を持つ。そよ風が、貴方が自分を損なっていることを教える。続いて闇の底から、自分を損なっているのは、自分を超えて自分を生きるものであると、語りかけられる。
第5章 貴方に生霊たちが訪れ、自分がどのように損なわれてきたかを語りかけ、貴方はそれらの生霊が自分にかわって語っているのだと悟る。そして、太陽の光から、自身を超えて自身を生きるものから解き放たれて生きることを聞き、隣人から施された乳粥を通して、互いに対等なものどうしを生き合うべきことを理解し、水につかることを通して、貴方は自身を超えて自身を生きるものから解き放たれた、自分自身であるものに生まれ変わるのである。貴方は、自身を超えて自身を生きるものと対決すべく険しい山への登攀を敢行し、自身を超えて自身を生きるものから自分が解き放たれることを宣言する。山を下りた貴方は、とある木の下に座すと、木から、貴方の教えを授けられるのである。
そのあとの貴方を、貴方自身の過去、現在、未来が訪れ、また妻の魂が訪れると、さらに互いに対等なものどうしの絆であるものが、貴方が互いに対等なものどうしのために働くことを語りかける。
また貴方のもとに守旧派たちが集まり、貴方に挑むが、貴方は動じなかった。
第6章 互いに対等なものどうしのためにも、貴方が得たものを伝えなければならないことを聞くと、貴方は伝道の旅に出ることを決意したのである。太陽への讃歌を通して、自分を超えて自分を生きるものが、互いに対等なものどうしを結ぶ絆となることを祈る。
また、互いに対等なものどうしが貴方によらず、互いに対等なものどうしによって生き合われるべきことを語りかける。
貴方の伝道の旅も最後の時を迎えていた。貴方は自分の死が間近いことを知ると、弟子たちにこれからは貴方ではなく、自分自身を師として生きるべきことを語りかけ、この世を去るのであった。



「プロメテウス 邪宗門」



あらゆる宗教はみな正統のものに対する邪教であった。近現代の宗教改革と神秘思想を通して、自分を超えて自分を生きるものと、互いに対等なものどうしの絆であるものを問いかける。
今を生きているこの場所(パスカル、ジャンセニズムにちなんで)、誰とも通じているからだ(セバスティアン・フランクにちなんで)、どこにも繋がるからだ(セリオ・セクンド・クリオーネにちなんで)、現世のからだを拒むからだ(シェーカー教徒にちなんで)、透明なからだ(クェーカー教徒にちなんで)、あらゆるものを取り込むからだ(ユニヴァーサリストにちなんで)、互いから引き離されるからだ(エホバの証人にちなんで)、互いに共有されるからだ(ジョン・ハンフリー・ノイズにちなんで)、新しき言葉を聞くからだ(末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教徒)にちなんで)、世界を救うからだ(キリストの兄弟たち(アデルフィアン)にちなんで)、魂の病(クリスチャン・サイエンスにちなんで)、世界のからだ(エマニュエル・スウェーデンボリにちなんで)、日々の生活から生きられるからだ(メソジスト教会にちなんで)、から成る。



「人間の神学」



中世ヨーロッパ神学に着想を得て、人間の信念について問いかける哲学詩。序章 魂の入れ物である体を通して生きられている 第1章 否むことのできないところから立ちあがる(聖アンセルムス) 第2章 自分に基づくものだけを生きる(アベラルドゥス) 第3章 自分自身から直に生きられる(ルター) 第4章 一にして多である自分(ティエリー) 第5章 自分を育むために他者の存在がある(聖ボナウェントゥラ) 第6章 信じるものが自分を支えている(聖ベルナルドゥス) 第7章 共有できるものを生き合う(トマス・アクィナス) 第8章 具体的なものが、具体的な自分と他者を創る(サン・ヴィクトール学派) 第9章 反対のものからも、また創られる(クザーヌス) 第10章 他の誰でもない、自分であるものを生きる(ウィリアム・オッカム) 第11章 他者から生きられている自分を生きる(エリウゲナ) 第12章 互いは結ばれ合っている(ドゥンス・スコトゥス) 第13章 すでに生きられているものであることに気づく(エックハルト) 第14章 この世界はいかにも美しい(聖フランチェスコ) 終章 人間共通のものを通して、自分を超えた自分であるものと巡り合う