前回につづき、旧作より
「タレス」
タレス・・・万物の原理を「水」に求めた
認めたからには 信じなければならない(われわれには、この従順さが備わっている)
手と足とによって、この身は導かれる
真ん中にいようとする。安定を求める(われわれ自身を見れば、何が中心かが分かる)
この二の腕や太腿は、主となる他の部分に従って動いている
豊かさであり、潤いであるものとは、われわれ自身を作っているものである(質料)
手を離すと引き下げられ、足を放すと下される。この身は下りてゆくことを志向している(休息)
神話(エムペドクレスにならって)
はじめに火があった。火が生きて水となる。ついで水が滞って土になる。気は常にこれらの活動の反対物であった。水が生の動態、土が生の静態である。動いている間はその生を知らず、止まってその生を知る。だがこの時、生の外にあって、そのものは生きていない。知られていない時に生きている。水とは捕らえがたく知られることの以前の姿であり、土とは捕らえられ知られてしまった姿である。水の本質は自由であり、土の本質は束縛である。生きることとは自由に属するものであり、束縛に属するものは死に至るものである。もっとも、生あるものは、初めから死に包まれてある。さまざまの束縛によって死んでゆく。
ばらけたり、出て行かないようにするための蓋(ふた)。内に閉じ込める道具(屋根)
零(あ)えるもの。着地するための脚を持っている。高さに応じて脚は伸びる(落ちる水)
蔦(ツタ)は長くしなやかな腕を持つ。とどまっているものを、おのがよすがにするために、からみつき、しっかり地に立っていられるようにする
離れたものは再び一つになる。または、再び一つになるために離れる(再会する魂)
一つになろうとしながら、なお自己を護っている。親しみつつ拒んでいる、この自ずからなるもの。すべてを許すことは出来ないながらも、一部を与えることになることを認めている。孤立することは自身にとって好ましくないから。自分とは本来の自分と他との共有物とから成っている(湿度)
古代ギリシアに活躍した自然学者と呼ばれた人たちの言葉が、詩と科学とが一体となる、自分の哲学的文学の創作の原点です。
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