この記事は、一度破棄していたものを、もう一度書き改めたものである。
昨夕(土曜日)のこと。
まだ仕事をしていた私は、すでにとっぷりと日が暮れた路上で、突然見知らぬ男性から声をかけられた。
男性は、ある営業をしている60歳の新人で、まだ実績がなく、今日結果が出せなければ会社を解雇になる。解雇になったときは、首をくくらなくてはならない、という。
今日も一食もせず、戸別訪問をしているが、どこも断られた。どうしたら、契約をしてもらえるかと、初対面のわたしに訊いてきたのである。
初対面の人間にこんなことを訊くこと自体、とても異常なことである。
しかし、それほど追い詰められているということが分かるので、仕事中にもかかわらず、男性のために、自分の時間を割いてあげることにしたのであった。
スーツ姿の男性は、見た目とても真面目な印象がしたが、悲壮感がとてもにじみ出ていた。ひょっとすると、その悲壮感こそが、契約に至らない主たる要因であったかもしれない。もっとも、ただでさえ、戸別訪問が警戒される昨今、一軒一軒訪問して契約を獲得すること自体とても厳しいに違いない。
とにかく自分が男性の話に付き合うことで、男性が死ぬことから少しでも回避できればと願わずにはおかなかった。
もっとも、わたしが応えられるものはあまりなさそうであった。「消費者本位で話をすることかな」、と答えるのが精一杯であった。
男性は、自分もそう思う。でもなかなか契約に応じてくれない、と。そして、しきりに、どうしたら契約に応じてくれるのかと、わたしに必死に答えを求めてくる。そばには、景品として用意されたものらしい、トイレットペーパーなどが荷台に詰まれた自転車が停められている。
そこで、自分がなにか男性のためになる一言として、自分のことを話すことにしたのである。
すると、男性は、苦境にあるのは自分だけではないことを理解してくれたようで、自分の話に付き合ってくれてありがとう、とわたしの顔に安堵したような笑顔を返すと、自分の方から、「ともに頑張りましょう」と言って、わたしと別れた。
男性とは、10分くらいの立ち話であったろうか。
男性自身の口から出た、「ともに頑張りましょう」の言葉が良かったと思った。
男性は、自分ひとりで、自分の苦境を抱えて、四苦八苦していたのである。
しかし、運命のめぐり合わせで、わたしと出会い、自分ひとりで、自分の苦境を抱えなくてもいいことを理解したのである。
それは、傾聴の力による。
ただ、その人の話に前のめりで耳を傾ける。
それだけでも、結構問題の解決の糸口になるのである。
それは、自分ひとりの限界を超えて、自分自身を見据えるということであろう。
自分ひとりで考えていたとき、自分で自分の限界を極端に定めてしまっているのである。
しかし、誰かと一緒に自分のことを考えるようになると、自分の限界を定めずに、もっと自由に自分を見つめることができるようになる。
自由に自分を見つめなおすことができたら、そこからそれまで眠っていたパワーが起こってくる。生きる勇気が沸き起こってくるであろう。
これが、傾聴の力なのである。
たぶん、もうその男性とは会うことはないであろうけれど、男性がこの力を得て、自分の人生に再び立ち上がってゆく姿を想像したい。
現実は厳しく、想像通りにいくとは限らないが、でも一筋の希望を捨てず、再起する姿を想像したい。
まさに、それが実現されてゆく姿を想像することは、カウンセリングをすることの最大の冥利というものだと思う。
現実のことを書くことに躊躇するところがあったが、でも、その男性がわたしと出会ったということの事実の重みをしっかりと受け止めるために、あえて書くことを決めたものである。