どんなに否定しても否定することができないもの。
第一にあなた自身である。
デカルトがいう、われ思うゆえにわれ在り、である。
どんなに否定しようと、否定する自分自身を否定することはできない。
否定する自分自身を否定することは、否定そのものがないという矛盾に陥るからである。
アンセルムスは、否定することができないものとして、神を語った。
どんなに否定しようと、神を否定することはできない。
なぜなら、神を否定することは、神の存在を肯定していることになるからである。
それは論理の矛盾である。神をこれこれと定義できるから、否定することができるのである。
それは、あなたが定義する神の存在についてのみ、その存在を云々しているのに過ぎない。
また、あなたが定義できない神について論じることは不可能である。
あなた自身についても同じことが言える。
あなたが自分自身をこういうものだと言えることにおいて、あなたは論じることができる。
しかし、あなたが知らない自分自身について、あなたは語ることができない。
当然、あなたは、あなた自身を否定することなど不可能なのである。
また、あなたの隣人についても同様である。
あなたは、あなたが定義づけることにおいてのみ、あなたの隣人を語ることができるのに過ぎない。
あなたが知らない隣人はあり、あなたはあなたの隣人について本当はなにも語ることができないのである。
あなたの生きる世界についても、あなたが語ることができるのは、あなたが世界について知りうるほんのわずかな部分なのである。
しかし、あなたは、あなた自身から、またあなたの隣人から、そして、あなたの生きる世界から関わられているし、あなたもまた、それらと関わっている。
そのかかわりにおいては、それがすべてである。
だから、あなたは、そのかかわりにあなたのすべてをかけなくてはならないであろう。
それは語るということではなくて、生きるということである。
語ることにおいてはほとんど知らないのも同然であるが、生きることにおいてはそれがすべてなのである。
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