「具体的なものを通して導かれる」。
あなたは、あなたを生きるものから、具体的なものを通して導かれる。
あなたを導く具体的なものとは、あなたを具体的に導く言葉である。
あなたは、あなたを導く具体的な言葉、すなわち主なるもののメッセージに対して、つねに敏感でなくてはならない。
中世のサン・ヴィクトール学派で行われた自由7学科の一つである音楽が重んじられたのは、あなたを導く主なるもののメッセージを、敏感に、余さず聴き取る繊細さを培うためであった。
それは、第一には、ムジカ・ムンダーナと呼ばれる。
ムジカは音楽、ムンダーナは世界の意。すなわち、世界の音楽である。
これは、耳で聴くというより、魂で聴くといったほうがいい部類で、わたしたちは、魂の中で世界の意味を聴くのである。
中世において合唱がことに重要であったのは、この宇宙の音楽を聴くためである。
合唱で互いの声がぶつかり合い、そこに新たに倍音という音が突然現れ、歌う人の魂を揺するとき、中世の人には、天から神のメッセージが降ってきたように感じられたのである。
音楽には、このムジカ・ムンダーナのように、わたしたちの魂を揺さぶるメッセージを聞くという側面があるのである。
第二には、ムジカ・フマーナと呼ばれる音楽があった。
フマーナは人間。この場合は、わたしたちの肉体を意味し、ムジカ・フマーナは人体の音楽である。
すなわち、神からの創造物であるわたしたち自身の命に耳を傾けるということである。
それは、命そのものからのメッセージである。
命の原理、法則を感じ取るこの音楽もまた、わたしたちの耳で聴くというより、頭、知性で聴くものである。
わたしたち自身の命の響きを感じるその音楽は、後の科学を準備するであろう。
そして、第三の音楽が、ムジカ・インストルメンタリスである。
インストルメンタリスはじっさいに音を鳴らす楽器のことで、楽器による音楽、すなわち本来の意味の音楽である。
もの自体が持つ存在の響きを感じ取ること。
それが、この第三の音楽の主旨であり、わたしたちの耳を通して感じ取る、音の響きである。
わたしたちは、存在そのものが持つ響きを通して、わたしたちの存在そのものへの愛を持つことを介して、その上位にある人体の音楽、さらに世界の音楽へと橋渡しされてゆくのである。
中世において音楽をすることは、存在の持つ音の響きを細やかに感じ取ることを通して、宇宙とわたしたちの命の響きを聴き取るということだったのである。
そして、あなたがあなたであるものを真に生きるとき、あなたの魂は、あなたが人間という命を持って、宇宙の中に息づく存在であるというメッセージを受け取るであろう。
すなわち、あなたが人間という命をもって世界の中に息づいていることに思いをいたすとき、世界の営みを奏でる音楽(ムジカ・ムンダーナ)は、あなたを超えてあなたを生きる主なるものの音楽として、あなたの中で高らかに貫き響くであろう。
また、あなたが互いに対等なものどうしを生きる存在であることに思いをいたすとき、人間の営みを奏でる音楽(ムジカ・フマーナ)は、互いに対等なものどうしの絆の音楽として、あなたの中であまねく響きわたるであろう。
音楽があなたの心を惹きつけて止まないのは、音楽が、あなたの魂と、音なすすべての存在(ムジカ・インストゥルメンタリス)と、互いに対等なものどうしである人間(ムジカ・フマーナ)と、すべての存在を包み込む世界(ムジカ・ムンダーナ)と深く響き合っているからなのである。
※訂正とお詫び
正しくはムジカ・ムンダーナとするところを、ながらくムジカ・ウニヴェルシタとご紹介してきました。どのような経緯でこのような思い違いをしたかは判明しませんが、典拠について確認することを怠ったことが問題かと思います。ただし、この言葉に託した意味は変わりません。ここに謹んでお詫び申し上げますとともに、今後、このような誤用がないよう確認作業を徹底いたします。
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中世キリスト教神学を元にしたこのシリーズの後には、わたしたち自身のことを書きたいと考えています。
あなたのおそれ、あなたの悲しみ、あなたの苦しみについて語りたいと思っています。
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既刊作品
(抜粋)
「非情にも、わたしをこの荒涼とした場所に繋いだ、主なる貴方よ。
貴方は、わたしを未来永劫の苦しみに繋いだつもりであろうが、この苦しみにわたしが耐えられないわけではない。
なぜなら、貴方からわたしが与えられている苦しみは、主なる貴方がわたしに与えているつもりのものにほかならないからである。
貴方は、わたしを永劫の苦しみに苛(さいな)ませているように見せているが、ほんとうに苦しみに苛んでいるのは、むしろ、わたしにかくのごとき苦しみを与えている貴方のほうなのである。
それは、わたしなくして、貴方が未来永劫、生きることはないからである。
わたしを苦しませることは、むしろ貴方自身を苦しい瀬戸際に追い込んでいるのである。
わたしは、貴方の底知れぬ孤独を知っている。
貴方が、どうして数多のものを創造しなければならなかったか、その理由がよく理解できる。
数多のものを創造した創造主であるにもかかわらず、自身が創造したものを生きることができない、貴方の無念さがとてもよくわかる。
さあ、語るとしよう。
自身と対等なものを持つことのない、貴方の永遠の孤独のことを。」
(抜粋)
「わたしを超えてわたしを生きる、わたしの主なるものであるものよ。
貴方は、わたしを通して、互いに対等なものどうしであるものを生きようとしたが、貴方自身が満ち足りることはなかった。
そこで貴方は、互いに対等なものどうしであるものに、貴方の神性であるものを付与することにした。
それは、自身と対等なものを持たない創造主の孤独である。
それを自由とか個人という言葉に包(くる)むと、貴方は、互いの絆であるものから分かたれた、個々のわたしであるものを通して、貴方であるものを生き始めたのであった」
地から声がする。
われ思う。ゆえにわれ在り──
「疑い得ぬ自分がわたしを捉えると、貴方は疑い得ぬわたしを通して、世界を治め始めた。
貴方から生きられる世界は疑い得ぬ世界であり、貴方を通して世界を生きる人間は、真実の生を生きるものとされた。
こうして、間違わない人間による、間違わない人間どうしの闘争が繰り広げられることになった。
人間は世界について理解することを通して、世界の主人となり、また自分たち自身について理解することを通して、自分たちの支配者となる。
互いに対等なものどうしであるはずのものは、互いから分かたれ、互いを損ない合うことで、貴方からより生きられるものとなったのであった。
かくして世界は、互いに対等なものどうしが、バラバラに分かたれた場所になったのである。」
(抜粋)
わたしを貴方から分かつことで、貴方であるものをさらに生きようとする貴方は、さらにわたしに試練を与えることで、より貴方自身であるものを生きようとしたのである。
第一にそれは、わたしが、貴方以外のものを生きることを厳しく禁じることであった。
貴方以外のものを生きるものは、創造主である貴方から滅ぼされることになるのである。
ソドムとゴモラとは、わたしが、貴方以外のものによって生きることで貴方であるものが激しく損なわれたことの報いとして、貴方によって滅ぼされるわたしのことである。
次に貴方は、わたしが貴方を離れて、自身と対等なものどうしと互いにより生き合われることに楔(くさび)を打つことにしたのであった。
わたしが互いにより生き合われることが、貴方の存在を脅かすように感じられたからである。
貴方は、わたしが互いに対等なものどうしの言葉によって生きられるよりも、貴方の言葉によってのみに生きられるために、自身と対等なものどうしの言葉を乱し、自身と対等なものどうしの絆であるものをことごとく破壊したのである。
バベルの塔とは、わたしが互いに対等なものどうしをよりよく生き合う絆を表したものである。
さらに貴方は、わたしがただ貴方によって生きられるように、わたしに試練を与えたのであった。
すなわち、わたしとわたしの弟に、それぞれ貴方が欲しているものを持ってこさせると、貴方は、わたしの弟のものだけを受け取り、わたしのものを受け取らなかったのである。
貴方から愛されないことを感じたわたしは、貴方から愛されたわたしの弟に激しい憎しみを抱くと、人類最初の殺人を犯したのであった。
人類最初の殺人として旧約聖書で記述されている、カインとアベルの物語。
しかし、貴方のわたしに対する不信は、なお終ることはなかった。
(抜粋)
荒れ野でひとり飢えに苦しみながら、瞑想に耽っていると、あなた自身であるかのように、あなたの中で、あなたに向かって語りかける声があった。
――わたしは、あなたのあらかじめなる血である。
あなたがわたしからあらかじめ息づかされるなら、
わたしは、あなたを、数多のものをあらかじめ息づかせる主なるものにしよう。
それに対してあなたは、
「なにゆえに、わたしを数多のからだであるものから分かち、わたしを通して数多のからだであるものをあらかじめ生きようとするのか。
わたしは数多のからだであるものと互いにあらかじめ息づかれ合うことで、互いのより「強くあるもの」を生きられ合うからだである。」
それはまた、あなたにこう語りかけた。
――わたしは、あなたの高き胸である。
あなたがわたしから導かれ、育まれるなら、
わたしは、あなたを、数多のものを導き、育む導き主にしよう。
それに対してあなたは、
「なにゆえに、わたしを数多の耳であるものから分かち、わたしを通して数多の耳であるものを導き、育もうとするのか。
わたしは数多のものと互いに導き、育み合うことで、互いのより「聡くあるもの」を生きられ合うからだである。」
それはまた、あなたにこう語りかけた。
――わたしは、あなたの限られなき腕である。
あなたがわたしから創造され、在らされるなら、
わたしは、あなたを、数多のものを創造し、在らせる創造主にしよう。
それに対してあなたは、
「なにゆえに、わたしを数多の脚であるものから分かち、わたしを通して数多の脚であるものを創造し、在らせようとするのか。
わたしは数多のものと互いに創造し、在らせ合うことで、互いのより「限られなくあるもの」を生きられ合うからだである。」
(抜粋)
自身を超えて自身を生きるものによって生きられるために、貴方が損なったものは、貴方自身を生きる貴方であることを理解した貴方は、自身を超えて自身を生きるものによって生きられるために、なにゆえ貴方自身を生きる貴方自身であるものを損なわなければならなかったかを思った。
「わたしは、わたしの強くあるものを生きようとするものを損なうことと引き換えに、わたしを超えてわたしをあらかじめ息づかせるものから、わたしのより強くあるものに生きられようとした。
しかし、そのことによりわたしが生きられたのは、わたしのより強くあるものとは正反対のものであった。
すなわちわたしは、わたしを超えてわたしをあらかじめ息づかせるものから、わたしのより弱くあるものに生きられることと引き換えに、わたしの強くあるものを生きようとするものをおびただしく損なってきたのである。
またわたしは、わたしの聡くあるものを生きようとするものを損なうことと引き換えに、わたしを超えてわたしを高く導きはぐくむものから、わたしのより聡くあるものに生きられようとした。
しかし、そのことによりわたしが生きられたのは、わたしのより聡くあるものとは正反対のものであった。
すなわちわたしは、わたしを超えてわたしを高く導きはぐくむものから、わたしのより疎くあるものに導きはぐくまれることと引き換えに、わたしの聡くあるものを生きようとするものをおびただしく損なってきたのである。
(抜粋)
なにものでもあるし、なにものでもないあなたは、あるとき、自分自身に対して、どのようにも生きることができるという内なる声を聞いた。
それは世界を創造または捏造する存在としての自分である。
わたしたちは、自身が創造または捏造した世界から生きられている。
その意味では、世界の創造者、または捏造者であるわたしたちが、自身について思弁するということは、じつはとても無意味なことなのである。
そもそも思弁は、じつは存在しない。
それは、思弁が、創造、または捏造された世界の一部であるからである。
つまり、どんな思弁も意味がなく、しかも、わたしというものは存在している。
それは、この存在を唯一支えてくれるものがあるからである。
この存在を唯一支えてくれる存在、それが神であり、神とのつながりである、信仰心である。
数学者、科学者であったあなたは、科学の無力を感じ、神への信仰に入った。
同時代人の、近代的哲学の祖と言われる、あなたのライバルもまた、神への信仰を証するために真なる知を求めた人であった。
神への信仰の下に、科学は創造され、神への信仰がなければ、どんな科学もまったく意味がなく、信仰と科学とは一つに結ばれていたのである。
人間が自然の中で取るに足らない存在であることを明らかにすることを通して、人間にとっていかに神が必要なのかと、あなたは語ろうとしたのである。
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