今回は、いま出版を準備中の「新しきイエス」から、ご紹介したいと思います。
この部分は、すでにこのブログで公開したものですが、それに手を加えたものです。
自分でもなかなかよく出来ていると思っている箇所で、正直のことを言うと、感動して不覚にも涙を流してしまいました。
自分の書いたものに感動して、涙を流すなんて、ですが。
これも、この作品が、自分の手を離れ、独り立ちをしたということの証なのではないかと思っています。
「新しきイエス」第3部 「とある粗暴な男の内に建てられた、魂の建物」
あなたの捨て身の行為によって改心した、とある粗暴な男の告白。
「私は、「私というもの」の始まりから終わりに至るまでを、私の先端から末端の隅々までを、あなたのあたたかな魂がすべってゆくのを感じていた。
すると、私の足の先から頭のてっぺんまで、あなたが私を満たしてゆくのを感じた。
あなたが満ち渡って、私は私というものが、すべてあなた自身に取り替えられてしまったのを思った。
けれど、違っていた。
あなたは、私の中に、本来の私という建物を建てた。
私が私であるところの、私が拠って立つ場処である。
そして、この場処が、あなたの中でもあることに気づいた。
私はあなたという家に住まっている。
あなたはその私の中でこう命じた。
〈あなたをもっと主張しなさい。強く強く、あなたを奮い立たせて、私の中を激しく突き進みなさい〉と。
私は全身全霊、力を込めて、あなたに向かい、自分を奮い立たせて、激しく激しくあなたに向かっていた。
あなたの奥処で、私は高らかに叫んでいた。
私の手は、あなたの手を握り締め、あなたが私の上に建てられていた。
そうである。あなたは私の上にあなたの神殿を建てた。
しかし、それは私の神殿でもある。
私が主張する場処が、あなたという建物の中にある。
あなたは私の片手を取ると、指の一本一本を丹念に調べるようにあなたの手が優しく包むと、あなたの奥処に導く。
一本ずつあなたに数え上げられて、私は自分があなたから大切にされていることを思う。
その行為は、私にこう言っているかのようである。
九十九頭の羊よりも迷える一頭の羊を数えよう。
その一頭の羊は九十九頭の羊よりも尊い。
主とは、このようにたった一頭の大切さに気づくもののことである、と。
私は、あなたのしっとりとした愛に濡れる。
それは温かな涙の泉である。
あなたは、私という私、私であるところのものをことごとく飲み干すように、あなたのやさしくあたたかな唇が私の至るところ隈なくを吸ったのである。
私の中の悪しきもの、毒という毒を、私の中から吸い出したのである。
じっさい、私は、自分の中から、さまざまな邪悪なものが取り除かれて、重石がのかれたように軽くなってゆくのを感じていた。
実を結ぶのに、大地がそれにふさわしくならなくてはならないというように、あなたは私を清めた。
だが、あなたは、私から余計なものを取り除いたというだけではない。
あなたは私という大地にあなたの魂を植えつけた。
私はあなたの魂で満たされ、あなたによって実った果実を、大地の女神であるあなたが自分の権利として味わう。
私はあなたによって種を蒔かれ、いま収穫を迎えている稔りの大地なのである。
あなたは私から出てきたものをことごとく味わいつくす。
そうして、私という大地が永遠に実りをもたらすように、あなたは私に愛を注ぎ続けるであろう。
あなたと向かい合っている私は、あなたによって建てられた家である。
そこは私があなたの愛によって住まうところである。
だが、あなたはそこを私一人の場処にはしない。
そこは私が隣人を迎え入れる場処なのである。
あなたは私の孤独が満ち足りるように、私によって傷つけられた腕でやさしく私を抱いたまま、じっとそうしていた。
すると、私の中で、隣人のために設けられた場処がとても熱く感じられてきた。
あなたは私の顔を見つめ、言った。
「あなたの中に、今、愛が住んでいます」と。
その言葉によって、私は本来の自分を取り戻したのであった・・・。」
あなたによって魂を清められた、かつての粗暴な男は、やはりあなたのように誰かのために命を投げ出し、誰かを助けたのと引き換えに、命を落とすこともやぶさかではなかった。
***
「プロメテウス」三部作がキンドルストアより発売されています。
互いに対等なものどうしを生き合うものと、自身を超えて自身を生きるものとの対立と調和の物語です。
キンドルストア でご購入されるか、または、こちらの自著専用サイト「イリエノコ出版 」よりご購入ください。
