今回は、「貴方が生きられるべき場所」です。
貴方の周りの言葉たちは、貴方はここにいるべきだと誘います。
しかし、そのどこも貴方がいるべき場所ではありません。
なぜなら、そのどこも貴方と貴方の隣人の思惑が作り出した架空の場所だからです。
アベラルドゥス的にいうなら、貴方と貴方の隣人の思惑が作り出したものは、普遍的な存在ではなく、どのようにも生き得るものです。
ただ、貴方と貴方の隣人の思惑を離れたところにだけ、唯一貴方が生きられるべき、普遍的な場所は存在します。
その場所こそ、貴方が貴方自身をリアルに生きられる場所なのです。
貴方がリアルに生きられるべき場所を生きるために、批判性とか理性とかいうものが、貴方に与えられているのです。
貴方に自ずと備わっているその批判性、理性とかいったもののおかげで、貴方は、今自分がいる場所が、貴方が生きるべき場所ではないことを、直感で感じ取ることができます。
ここは、自分がリアルに自分を生きられるべき場所ではない、と。
ならば、どこに貴方が生きる場所があるでしょうか。
それは、貴方が感じたその直感の中に、すでにヒントとして隠されています。
どうしてそこが貴方が生きるべき場所ではないと感じられたのか。
それは、貴方の直感の中に、今貴方が生きているものと比較するものがあるからです。
すなわち、貴方は、すでに自分が生きるべき場所を知っているのです。
ただ、はっきりと、それに気が付けていないだけなのです。
では、どのようにしたらはっきりと気が付くようになるのでしょうか。
そのヒントもまた、貴方の直感の中にあります。
貴方の直感が比較したものを問うことで。
すなわち、貴方が今生きている場所そのものを問うことによって。
貴方は、貴方が生きる場所をはっきりと気づくために、貴方が今生きている場所そのものを問うのです。
貴方が今生きている場所が、より強く貴方を誘っている場面があったとしたら、貴方が生きるべき場所 は、もうすぐ手の届くところにあるからです。
思い切って、貴方を捉えているものとぶつかって、その向こうに突き抜けてみるのもいいでしょう。
突き抜けた先に、貴方が生きるべき唯一の場所が待っているかもしれません。
大事なことは、貴方が生きるべき唯一の場所が、貴方が求めた場所だということです。
けっして、他から与えられたりするものではないということです。
安易に他から与えられた場所を生きることは、貴方の生のどこかにひずみをもたらすことになるでしょう。
なぜなら、安易に与えられたものは、貴方と貴方の隣人の思惑がつくりだした、どこにも存在しないものだからです。
貴方に備わった批判性、理性を活発にさせ、貴方が生きられる唯一の場所を獲得しましょう。