人間関係に実存の根底を求め、互いは唯一の実存を生きる存在であり、よりよく自分の実存を生きるために、互いが共同する社会に自己を投げ企てなければならない、と説いたのがジャンポール・サルトルです。
そうして、彼が提起したのが、三つの自分と、一つの態度です。
三つの自分とは、自分自身である自分である、即自存在。客観的に見つめられた自分である、対自存在、他者の中で、他なるものとして認められる対他存在です。
一つの態度とは、自己を参加させることで、自己実現を図る行為、これをアンガージュマンと呼びます。
すなわち、貴方という存在は、社会の中に働きかけることで、よりよく生きるものとなるということです。
貴方という存在は他のなにものでもない固有の存在であるとともに、社会の一員として生きる社会的存在なのです。
ゆえに、自己の存在にばかりとらわれていることは、自己の実現から離れてしまうことになり、自己を離れ、他者とのかかわりの中にこそ、自己は実現されるのです。
メルロ・ポンティ的に言うなら、貴方の他者とは、貴方の中を流れる血です。
他者によって、貴方は、貴方であるものを活かされるのです。
そして、社会とは、互いがより活かされあう場所です。
貴方は、貴方の他者が集まってできている社会という場所において、より貴方であるものに活かされるのです。
一方、他者から逃れ、社会から独立して生きようとすることは、貴方の実存において決定的な誤りを犯すことになります。
貴方は、貴方の隣人から活かされる存在。
この事実にフォーカスし、貴方を貴方の隣人から引き離そうとするものと、真摯に向かい合わなければならない。
貴方を貴方の隣人から引き離そうとするものは、貴方を独占して生きなければ死んでしまう存在です。
貴方のからだに注がれる血であることを主張しながら、そのじつは貴方から活かされてもらわなければならないのです。
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互いに対等なものどうしを通して、自己の実存を生きようとして、そこから引き離され、孤独のうちに死んだ人を、心から悼みます。
わたしは貴方の大ファンです。
貴方の明るさ、弱さ、真摯に生きる姿に、わたしは共鳴していました。
貴方は、互いに対等なものどうしを生きようとしました。
しかし、貴方は失望せざるを得なかった。
そうして、互いに対等なものどうしを生き合うことができなくなった自分に疲れ切った。
貴方は自ら自分の命を絶ったけれど、それはわたしの再出発でもあった。
わたしは、貴方から新しく生かされたような気がする。
貴方に出会えてよかった。
貴方は、わたしの中を流れる血となって、今のわたしを活かせています。
貴方の夢はなんだったのでしょうか。
わたしは、貴方も眺めていた空を眺めて考えます。
貴方の果たせなかった分、わたしは、わたしの夢を実現させたいと思います。