互いに対等なものどうしを生き合う 第33回 クザーヌスその三 反対のものから創造されている | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

 貴方は、貴方の反対のものから創造されている。


 これが、今回のテーマです。




 反対のものは、否定の意味ではなく、貴方がよりよく生きるためになくてはならない材料です。



 貴方が力不足なら、力であるものが、貴方が求めしたがう主なるものということになる。


 貴方が傲慢ならば、貴方の傲慢さを指摘するものが、貴方を謙虚さへと導く。


 貴方が正しさを生きようとするとき、貴方をその正しさからそらそうとするものもまた、貴方がより正しく生きるために必要な存在であるかもしれない。


 それぞれ、まったく性格が異なるものの、貴方にとって意味のある反対者です。


 反対するものを受け容れることは、一時的に停滞を招くことになるでしょう。


 しかし、それは次のステップのための一時的停滞であって、必要なことであり、その一時的停滞を危ぶんで、反対のものをいっさい受け容れないようにすることの方が、かえって、貴方のステップアップを遅らせることになるかもしれない。


 重要なことは、反対のものは、なにか貴方にとって意味があって現れるということです。


 その意味とは、貴方がよりよく生きるために、貴方に突っ込みを入れてくれる存在ということです。



 また、貴方の挫折は、貴方がよりよく生きるためにどうしても必要だったのです。


 挫折は、貴方がよりステップアップするために、貴方が経験しなくてはならない事柄です。


 貴方は、挫折を通して、自分がよりよく生きるために、なにをしたらいいかを教わるのです。




 貴方がまっすぐ道をゆくことができず、途中、道を踏み外したことは、目的に対して遠回りをすることになっても、ただそのまままっすぐ道をゆくことよりも、多くのことを貴方にもたらしてくれるでしょう。


 貴方が、道を踏み外したことには意味があるのだと思ってください。

 



 一時的な停滞、一時的な遠回り、一時的な後退は、全体からみると、進歩、近道、前進なのです。


 クザーヌスは、それをらせん階段でたとえています。




 貴方が道を下っているつもりでいると、じつは以前に比べて少し高い場所を歩いているという事実に、ふと気付く。


 下っているつもりが、じつは上っているのです。



 

 肩の力を抜いているときの方が、かえって力を発揮することがあります。


 もともと実力があるのに、いざ本番になると、妙に肩に力が入りすぎ、余計な神経を働かせてしまって、まったく実力を発揮できずに終わってしまう人。


 むしろ、だめでもともとと捉え、軽い気持ちで臨んだ方が、いい結果を出したりします。


 反対のものを利用しましょう。



 反対のものをことごとく、自分の周りから排除するような生き方は、たとえは悪いですが、人類がこれまで行ってきた大罪、すなわち、魔女狩りや、ホロコースト、大量殺りく、粛清を、自分自身と自分の身の回りに対して行っているのに等しいのです。


 反対者こそ、貴方がよりよく生きるために必要な大切な存在なのだということを、心のどこかにおいて考えてみるのは、貴方にとって意味のあることであるかもしれません。


 どんなにつらいことでも、それは、かならず貴方の生きるバネになり得ます。



 ただ、いまつらい思いをされている方には、こんなことを言われても、かえってつらさを増させるかもしれません。


 自然を眺めたりして、時間をかけて、自分を癒してあげてください。


 それもまた、貴方に必要な反対者です。


 時間がなかった貴方は、時間という味方を得るのです。


 反対者の味方を少しずつ増やしてゆくことで、貴方は以前よりもずっと強くなっているでしょう。




 追記


 このブログをアップして、最初に訪れたブログで、このブログに呼応することが書かれてあったので、これも奇縁ということで、ちょっと書かせてください。


 そのブログで、許しということが書かれていました。


 許し。


 わたしのブログも、許しという観点で読むのもいいかと思います。


 許しは、反対のものを受容する心です。


 貴方は、反対のものを受容することで、より強い貴方になったのです。