互いに対等なものどうしを生き合う 第22回 ベルナルドゥスその六 支えられてみる | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

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世界とは、貴方について書かれた書物である。

 今回は、支えられてみる。


 貴方を支えているもの、それは、ベルナルドゥス的には、神ということになる。


 わたしなら、互いに対等なものどうしの絆であるもの、ということを言いたいと思います。




 貴方は、どんな困難なときでも貴方一人ではありません。


 貴方の存在の重みがそのことを証しています。


 貴方の存在の重みが貴方が一人ではないということの証拠です。


 というのも、貴方の存在の重みは、貴方自身が感じるものではなく、貴方の隣人が感じるものだからです。


 貴方の隣人が貴方の存在の重みを感じることで、貴方は、貴方の隣人から支えられるのです。


 貴方の隣人から支えられることを通して、貴方は、貴方の存在の重みを感じることができるのです。


 貴方を支える、貴方の隣人の手によって、貴方は自分の重みをもつことができるわけです。




 支えられているということを感じることを通して、今度は、貴方が貴方の隣人を支える番となるのです。


 貴方と貴方の隣人とは、互いを支え合うことで、互いの存在の重みを生き合うのです。


 互いに対等なものどうしの持つ最大の意味は、この互いの重みを感じ合うということなのだと、わたしは思います。


 対等な関係ではないもの、すなわち、貴方を超えて貴方を生きる、貴方の自分であるものは、むしろ貴方を軽いものとして生きようとするでしょう。


 なぜなら、今の貴方はとるに足りない存在であって、貴方を超えたところにこそ、求めるべきものがあるからです。


 今ある貴方を大事に思うものこそ、互いに対等なものどうしであるのです。


 貴方は、互いに対等なものどうしから、貴方の存在のかけがえなさを与えられているのです。


 それは、自身の存在のかけがえのなさを支えられているように、貴方もまた、誰かの存在のかけがえのなさを支えているものでもあるからです。