※このブログを訪れるみなさんの見易さを考慮して、三回分を最初のブログページに表示する設定に変えました。その分、PV数が減ってランキングに影響が出るかもしれませんが、かまわないでしょう。ランキングを意識するのは、モチベーションを高める上では有効ですが、ブログの質を落としたり、ブログを見られる方に大変不便をおかけすることになると考えたわけです。また、ランキングがブログの質とは関係ないところで決まっていることを最近感じているところで、ただ今、ブログランキング参加の見直しを検討中です。少し、時代の流れに逆行するかたちになるかと思いますが、自分で決めたことならばそれをやり抜きたいと思います。最近、ペタをできない設定に変えられたブログを見かけますが、それは個人的には全然かまわないと思いますよ。
さて、これから、イエスの最期の物語をひさびさ、七つの普遍構文(?)として設定した言葉からなる普遍詩(?)によって、書き連ねたいと思います。
こんなものを読まれる方がいるかどうかまったく怪しいのですが、しかし、中にはそういう奇特な方もいることを信じて、懲りもせず今回掲載することにしました。たぶん、まったくなにを言っているのか分からない方がほとんどだとは思いますが、ちょっとでも感じるものがあったら、それで十分だと思います。そのちょっと感じたことが、あなたの人生になにかしら力を与えてくれるのではないかと確信しています。この哲学詩と自ら名乗っているものは、森であり、木であり、葉である、とお考えください。一つ一つの言葉に命があります。一つ一つの言葉が集まって、また一つの命をもち、さらに全体が大きな命になるのだ、ということを連想していただければと思います。
ここで語られる「あなた」とは、イエス自身のことです。
*
あなたは、あなたと対等なあなたの同胞のあいだから、あなたと対等なあなたの同胞たちが、さらにあなたを通して分かたれて生きられると聞いた。
あなたと対等なあなたの同胞は、
あなたからあらかじめ分かたれて、生きられることで、同胞自身の「強くあるもの」をより生きられ、
あなたから高く分かたれて、導かれ、育まれることで、同胞自身の「聡くあるもの」をより生きられ、
あなたから限られなく分かたれて、在らされることで、同胞自身の「限られなくあるもの」をより生きられ、
あなたから深く分かたれて、満ち足らされることで、同胞自身の「豊かくあるもの」をより生きられ、
あなたから堅く分かたれて、庇われることで、同胞自身の「貴くあるもの」をより生きられ、
あなたから一に分かたれて、支え持たれることで、同胞自身の「重くあるもの」をより生きられ、
あなたからあまねく分かたれて、おし拡げられることで、同胞自身の「広くあるもの」をより生きられるのである。
あなたがどんなに、互いを分かつものから解き放たれることを語っても、あなたの同胞は、あなたを通して互いを分かつものから生きられることになることを知ると、あなたは、あなた自身を滅することを通して、あなたの同胞たちに示すしかないと心に決めた。
「あなた方よ、あなた方は互いを分かつものから解き放たれるとともに、わたしからもまた解き放たれなくてはならない。
それは、わたしにしたがおうとすれば、かならず、あなた方は互いを分かつものから生きられることになるからである。
あなた方は互いを生きるものから解き放たれるだけでなく、わたしからもまた解き放たれなくてはならないのである。
わたしがあなた方をあらかじめ生きているとしたら、あなた方はわたしからあらかじめ離れなくてはならない。
わたしからあらかじめ息づかせられることで、あなた方が互いをあらかじめ分かつものからあらかじめ息づかせられることになるからである。
わたしがあなた方を高く導き育んでいるとしたら、あなた方はわたしから高く離れなくてはならない。
わたしから高く導かれ、育まれていることで、あなた方が互いを高く分かつものから導かれ、育まれることになるからである。
わたしがあなた方を限られなく創造し、在らせているとしたら、あなた方はわたしから限られなく離れなくてはならない。
わたしから限られなく創造され、在らされることで、あなた方が互いを限られなく分かつものから創造され、在らされることになるからである。
わたしがあなた方を深く満ち足らされているとしたら、あなた方はわたしから深く離れなくてはならない。
わたしから深く満ち足らされることで、あなた方が互いを深く分かつものから満ち足らされることになるからである。
わたしがあなた方を堅く庇っているとしたら、あなた方はわたしから堅く離れなくてはならない。
わたしから堅く庇われることで、あなた方が互いを堅く分かつものから庇われることになるからである。
わたしがあなた方を一に支え持っているとしたら、あなた方はわたしから一に離れなくてはならない。
わたしから一に支え持たれることで、あなた方が互いを一に分かつものから支え持たれることになるからである。
わたしがあなた方をあまねく味わっているとしたら、あなた方はわたしからあまねく離れなくてはならない。
わたしからあまねくおし拡げられることで、あなた方が互いをあまねく分かつものからおし拡げられることになるからである。」
あなたの言葉を聞き、あなたにしたがってきたおびただしいあなたの同胞たちはうろたえた。
そして、あなたの言葉をどのように理解したらいいか困惑し、あるものはあなたのもとから去っていった。
あなたから離れることだけが、あなたの言葉にしたがうことだからである。
すなわちあなたの同胞は、
あなたからあらかじめ離れることで、自ら、自身をあらかじめ息づかせられることで、自身のより「強くあるもの」を生き、
あなたから高く離れることで、自ら、自身を高く導き、育むことで、自身のより「聡くあるもの」を生き、
あなたから限られなく離れることで、自ら、自身を限られなく創造し、在らせることで、自身のより「限られなくあるもの」を生き、
あなたから深く離れることで、自ら、自身を深く満ち足らせることで、自身のより「豊かくあるもの」を生き、
あなたから堅く離れることで、自ら、自身を堅く庇うことで、自身のより「貴くあるもの」を生き、
あなたから一に離れることで、自ら、自身を一に支え持つことで、自身のより「重くあるもの」を生き、
あなたからあまねく離れることで、自ら、自身をあまねく味わうことで、自身のより「広くあるもの」を生きるのである。
一方あなたのもとに残ったものは、あなたから少し離れたところに身を置くことで、あなたの言葉にしたがうことに努めたのだった。
あなたから生きられることから離れることは、あなたの言葉からも離れることであり、それは矛盾であり、あなたから生きられることから離れながら、あなたの言葉にしたがうことは不可能だからである。
このことから、同胞自身が自身を生きることを通して、あなたから生きられることで、自身であるものを生きられる、と解釈されたのだった。
すなわちあなたの同胞は、
自ら、自身をあらかじめ息づかせることを通して、あなたからあらかじめ息づかせられることで、同胞自身のより「強くあるもの」を生き、
自ら、自身を高く導き、育むことを通して、あなたから高く導き、育まれることで、同胞自身のより「聡くあるもの」を生き、
自ら、自身を限られなく創造され在らせることを通して、あなたから限られなく創造され、在らされることで、同胞自身のより「限られなくあるもの」を生き、
自ら、自身を深く満ち足らせることを通して、あなたから深く満ち足らされることで、同胞自身のより「豊かくあるもの」を生き、
自ら、自身を堅く庇うことを通して、あなたから堅く庇われることで、同胞自身のより「貴くあるもの」を生き、
自ら、自身を一に支え持つことを通して、あなたから一に支え持たれることで、同胞自身のより「重くあるもの」を生き、
自ら、自身をあまねく味わうことを通して、あなたからあまねくおし拡げられることで、同胞自身のより「広くあるもの」を生きるのである。
そうしてあなたの元に残ったものの一人が、あなたを売ったのである。
彼は、あなたからとても生きられていて、あなたから離れることができなかったので、強引にでもあなたを自身から引き離すことでしか、あなたの言葉に従うことができなかったのである。
あなたと対等なあなたの同胞たちの中で、あなたは自身と対等なものを持たないものの孤独の声を聞いた。
「あなたは、あなたの同胞と対等なものどうしであるものとして生き合おうとしてはならない。
あなたは、あなたの同胞から分かたれて、あなたと対等なからだではないものとして、あなたと対等なあなたの同胞から生きられる存在である。
すなわちあなたは、
あなたの同胞からあらかじめ分かたれ、あなたの同胞をあらかじめ息づかせるからだであり、
あなたの同胞から高く分かたれ、あなたの同胞を導き、育むからだであり、
あなたの同胞から限られなく分かたれ、あなたの同胞を創造し、在らせるからだであり、
あなたの同胞から深く分かたれ、あなたの同胞を満ち足らせるからだであり、
あなたの同胞から堅く分かたれ、あなたの同胞を庇うからだであり、
あなたの同胞から一に分かたれ、あなたの同胞を支え持つからだであり、
あなたの同胞からあまねく分かたれ、あなたの同胞を味わうからだである。」
あなたは、自身と対等なものを持たない、あなたの内なる孤独の声に答える。
「わたしの同胞と対等ではないものよ。
それこそ、わたしを超えてわたしを生きるものである。
貴方は、
わたしをわたしの同胞からあらかじめ分かつことを通して、本来対等なわたしの同胞をあらかじめ息づかせることで、自身のより「強くあるもの」を生き、
わたしをわたしの同胞から高く分かつことを通して、本来対等なわたしの同胞を高く導き、育むことで、自身のより「聡くあるもの」を生き、
わたしをわたしの同胞から限られなく分かつことを通して、本来対等なわたしの同胞を限られなく創造し、在らせることで、自身のより「限られなくあるもの」を生き、
わたしをわたしの同胞から深く分かつことを通して、本来対等なわたしの同胞を深く満ち足らせることで、自身の「豊かくあるもの」を生き、
わたしをわたしの同胞から堅く分かつことを通して、本来対等なわたしの同胞を堅く庇うことで、自身の「貴くあるもの」を生き、
わたしをわたしの同胞から一に分かつことを通して、本来対等なわたしの同胞を一に支え持つことで、自身の「重くあるもの」を生き、
わたしをわたしの同胞からあまねく分かつことを通して、本来対等なわたしの同胞をあまねく味わうことで、自身の「広くあるもの」を生きるのである。
わたしの内なる孤独とは、わたしを超えてわたしを生きようとする貴方の孤独である。
貴方は、自身が対等なものを持たないがゆえに、互いに対等なものどうしであるものを分かつことで、互いに対等なもの自身を生きようとするのである。
すなわち自身と対等なものをもたない貴方は、
互いに対等なからだであるものどうしをあらかじめ分かち、互いのからだであるものを生きることで、より自身の「強くあるもの」を生き、
互いに対等な耳であるものどうしを高く分かち、互いの耳であるものを導き、育むことで、より自身の「聡くあるもの」を生き、
互いに対等な脚であるものどうしを限られなく分かち、互いの脚であるものを創造し、在らせることで、より自身の「限られなくあるもの」を生き、
互いに対等な肩であるものどうしを深く分かち、互いの肩であるものを満ち足らせることで、より自身の「豊かくあるもの」を生き、
互いに対等な背であるものどうしを堅く分かち、互いの背であるものを庇うことで、より自身の「貴くあるもの」を生き、
互いに対等な肉身であるものどうしを一に分かち、互いの肉身であるものを支え持つことで、より自身の「重くあるもの」を生き、
互いに対等な目であるものどうしをあまねく分かち、互いの目であるものを味わうことで、より自身の「広くあるもの」を生きるのである。
だが貴方は、互いに対等なものどうしであるものを分かち、互いに対等なものを生きる以上に貴方自身を生きることはできない。
それがゆえに、貴方は貴方が生きるものから逆に損なわれることになるのである。
すなわち貴方は、
より自身の「強くあるもの」を生きるために、互いに対等なからだであるものをあらかじめ生きなければならず、
より自身の「聡くあるもの」を生きるために、互いに対等な耳であるものを高く導き、育まなければならず、
より自身の「限られなくあるもの」を生きるために、互いに対等な脚であるものを限られなく創造し、在らせなければならず、
より自身の「豊かくあるもの」を生きるために、互いに対等な肩であるものを深く満ち足らせなければならず、
より自身の「貴くあるもの」を生きるために、互いに対等な背であるものを堅く庇わなければならず、
より自身の「重くあるもの」を生きるために、互いに対等な肉身であるものを一に支え持たなければならず、
より自身の「広くあるもの」を生きるために、互いに対等な目であるものをあまねく所有されなければならないのである。
このことを知解するとき、互いに対等なものどうしであるものは、互いを分かつものから解き放たれ、互いをより生き合うのである。
すなわち互いに対等なものどうしであるものは、
互いに対等なものどうしであるものをあらかじめ分かつものからではなく、互いに対等なものどうしであるものが互いをあらかじめ息づかされ合うことで、
互いに対等なものどうしであるものをあらかじめ分かつものからではない、互いに対等なものどうしであるものが互いをあらかじめ息づかされ合う自身であるものを生き、
互いに対等なものどうしであるものを高く分かつものからではなく、互いに対等なものどうしであるものが互いを導き、育み合うことで、
互いに対等なものどうしであるものを高く分かつものからではない、互いに対等なものどうしであるものが互いを導き、育み合う自身であるものを生き、
互いに対等なものどうしであるものを限られなく分かつものからではなく、互いに対等なものどうしであるものが互いを創造し、在らせ合うことで、
互いに対等なものどうしであるものを限られなく分かつものからではない、互いに対等なものどうしであるものが互いを創造し、在らせ合う自身であるものを生き、
互いに対等なものどうしであるものを深く分かつものからではなく、互いに対等なものどうしであるものが互いを満ち足らせ合うことで、
互いに対等なものどうしであるものを深く分かつものからではない、互いに対等なものどうしであるものが互いを満ち足らせ合う自身であるものを生き、
互いに対等なものどうしであるものを堅く分かつものからではなく、互いに対等なものどうしであるものが互いを庇い合うことで、
互いに対等なものどうしであるものを堅く分かつものからではない、互いに対等なものどうしであるものが互いを庇い合う自身であるものを生き、
互いに対等なものどうしであるものを一に分かつものからではなく、互いに対等なものどうしであるものが互いを支え持ち合うことで、
互いに対等なものどうしであるものを一に分かつものからではない、互いに対等なものどうしであるものが互いを支え持ち合う自身であるものを生き、
互いに対等なものどうしであるものをあまねく分かつものからではなく、互いに対等なものどうしであるものが互いを味わい合うことで、
互いに対等なものどうしであるものをあまねく分かつものからではない、互いに対等なものどうしであるものが互いを味わい合う自身であるものを生きるのである。」