これからしばらく、キリスト教を生んだきっかけになった一人の人間、ナザレのイエスについて、想像の翼を広げていきたいと思います。
たぶん、これが終わるころには、「自分を超えて自分を生きる、自分であるもの」について探究してゆく、第二ステージの幕が上がることでしょう。
前回、私は、イエスなる人物のことをこのように書きました。
「父親のいない罪の子」
彼は、自分が生まれながらにして、他のものから差別されていることに、強い疑念を抱きました。
ここで、つい曲げて解釈をされてしまわないように、先に重要点を述べさせていただきます。
重要なことは、罪の方ではなく、差別の方です。
差別が罪を生むのです。罪が差別を生むのではない、ということです。
キリスト教は、後者の立場を取ることになりましたが、これは誤りであって、真は前者の方にあります。
それは明らかなことです。
自分はなにもしていないのに、罪の子だといわれているわけです。
また、母は未婚で子を産んだということが、どうして罪なことなのか、と思います。
それは、そのように言われているから、というだけに過ぎないのではないか。
自分や母を差別しているものとは、神です。
神。
ここから、神との格闘が始まります。
神は、どうして、罪というものを通して、互いを分かとうとするのか。
彼は、人々の中を生きる神についての言説を、自分の中に溶かし込むと、深い思索に入りました。
彼が自分の中に溶かし込んだ言説とは、次のようなものです。
「あなたを超えてあなたを生きる、あなたのあらかじめなる血である、わたしから、あらかじめ息づかれるためには、
あなたは、互いに対等なものどうしのあらかじなる絆であるものを、あなた自身から排除しなければならない。
互いに対等なものどうしのあらかじめなる絆であるものは、
あなたを超えてあなたを生きる、あなたのあらかじめなる血である、わたしから、あなたがあらかじめ息づかれることを妨げるものであるから。
あなたは、
互いに対等なものどうしのあらかじなる絆であるものを、あなた自身から排除することを通して、
あなたを超えてあなたを生きる、あなたのあらかじめなる血である、わたしから、あらかじめ息づかれるものとなるのである。
また、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの高き胸である、わたしから、高く導き、はぐくまれるためには、
あなたは、互いに対等なものどうしの高き絆であるものを、あなた自身から排除しなければならない。
互いに対等なものどうしの高き絆であるものは、
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの高き胸である、わたしから、あなたが高く導き、はぐくまれることを妨げるものであるから。
あなたは、
互いに対等なものどうしの高き絆であるものを、あなた自身から排除することを通して、
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの高き胸である、わたしから、高く導き、はぐくまれるものとなるのである。
また、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの限られなき腕である、わたしから、限られなく創造され、在らされるためには、
あなたは、互いに対等なものどうしの限られなき絆であるものを、あなた自身から排除しなければならない。
互いに対等なものどうしの限られなき絆であるものは、
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの限られなき腕である、わたしから、あなたが限られなく創造され、在らされることを妨げるものであるから。
あなたは、
互いに対等なものどうしの限られなき絆であるものを、あなた自身から排除することを通して、
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの限られなき腕である、わたしから、限られなく創造され、在らされるものとなるのである。
また、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの深き内腑である、わたしから、深く満ち足らされるためには、
あなたは、互いに対等なものどうしの深き絆であるものを、あなた自身から排除しなければならない。
互いに対等なものどうしの深き絆であるものは、
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの深き内腑である、わたしから、あなたが深く満ち足らされることを妨げるものであるから。
あなたは、
互いに対等なものどうしの深き絆であるものを、あなた自身から排除することを通して、
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの深き内腑である、わたしから、深く満ち足らされるものとなるのである。
また、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの堅き皮膚である、わたしから、堅くかばわれるためには、
あなたは、互いに対等なものどうしの堅き絆であるものを、あなた自身から排除しなければならない。
互いに対等なものどうしの堅き絆であるものは、
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの堅き皮膚である、わたしから、あなたが堅くかばわれることを妨げるものであるから。
あなたは、
互いに対等なものどうしの堅き絆であるものを、あなた自身から排除することを通して、
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの堅き皮膚である、わたしから、堅くかばわれるものとなるのである。
また、あなたを超えてあなたを生きる、あなたの一なる骨である、わたしから、一に支え持たれるためには、
あなたは、互いに対等なものどうしの一なる絆であるものを、あなた自身から排除しなければならない。
互いに対等なものどうしの一なる絆であるものは、
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの一なる骨である、わたしから、あなたが一に支え持たれることを妨げるものであるから。
あなたは、
互いに対等なものどうしの一なる絆であるものを、あなた自身から排除することを通して、
あなたを超えてあなたを生きる、あなたの一なる骨である、わたしから、一に支え持たれるものとなるのである。
また、あなたを超えてあなたを生きる、あなたのあまねき舌である、わたしから、あまねくおし拡げられ、味わわれるためには、
あなたは、互いに対等なものどうしのあまねき絆であるものを、あなた自身から排除しなければならない。
互いに対等なものどうしのあまねき絆であるものは、
あなたを超えてあなたを生きる、あなたのあまねき舌である、わたしから、あなたがあまねくおし拡げられ、味わわれることを妨げるものであるから。
あなたは、
互いに対等なものどうしのあまねき絆であるものを、あなた自身から排除することを通して、
あなたを超えてあなたを生きる、あなたのあまねき舌である、わたしから、あまねくおし拡げられ、味わわれるものとなるのである。」
イエスは──これからは、「あなた」と呼ぶことにします。なぜなら、彼はまた、これを読まれる「あなた」でもあるからです。
あなたは、互いに対等なものどうしが、互いを超えて互いを生きるものから、よりよく生きられようとすることと引き換えに、互いがわけ隔てられ、互いを損ない合っていることを理解するのです。
あなたとあなたの母が、人から理不尽な差別を受けていたこととは、まさにこの、互いを超えて互いを生きるものが互いを分かっていたことだったのです。
いったい、どうして、互いに対等なものどうしを超えて、互いに対等なものであるものを生きるものが、互いに対等なものどうしを分かたせ、互いを損なわせ合おうとするのか。
あなたは、互いに対等なものどうしを分かつ、自分を超えて自分を生きる、自分であるものと一対一で対決するために、一人、荒れ野に向かったのです。
次回は、荒れ野で、「あなた」が対決した「神」存在について述べます。