今回は、いわゆる哲学者ではありません。といって、なにが哲学者か、ということになる。また、哲学者なるものは本当にあるのか、ということもあるでしょう。ここでは、あくまで、職業としての哲学者ではなかった、という意味です。哲学者ではない人間はいないのです。
これから紹介するのは、「モナリザ」や「最後の晩餐」の絵画で知られる、レオナルド・ダ・ヴィンチです。
このルネサンスの万能の天才は、科学者の一面をもった人物です。
彼が用いたのは、克明に自然の姿をとらえることです。そのためなら、人体の解剖さえ厭わなかったのです。
彼は徹底して自然を観察しました。そして、その観察から飛ぶ機械(飛行機やヘリコプターの類)や水の中を進む船(潜水艦)などさまざまなものを考え出しました。
ここで彼を取り上げる理由は、その徹底した観察です。この観察の前に、どんな見方、思想も通用しません。
自分が観察し、得たこと。それがすべてなのです。
他人がどんなにこれはこうこうと説明したところで、それをおいそれと信じるわけにはいかない。
自分が確かに観察して、そのとおりだと思えて、はじめてそれは実体をもったものになるのです。
だから、世間に言われることをそのまま鵜呑みにしてはいけない。
また頭で考えたものでもいけない。頭は勝手に嘘をつくからです。
目で考えよ、ということです。
それは、なにも考えを持たない自然です。
この自然の前には、貴方の頭で考えたことなど、どうでもいいのです。
このことを徹底することで、自分は自分自身を乗り越えて、真実のものに触れることになるわけです。
自分の見たものを自分の思考を介さずに、あるがままに受け止めること。それが、真実につながること。
それは、じつはとても難しいことであるかもしれません。
自分が見たものを自分の思考を介さずに、あるがままに受け止める、はたしてそれは本当にできることなのでしょうか。
なにも考えずにものを見ている、といっても、貴方がただ特定の考えにとらわれていることに気づかないことであるかもしれません。
気が付かないうちに、ある考えにとりつかれている、ということは、現実におこっていることなのです。
戦争に行くのが当たり前、原子力発電は続けるべきだ、ユダヤ人は抹殺すべきだ(ユダヤ人のみなさん、失礼な言葉で済みません)。
当たり前に思う、そのことじたい、すでに考えにとりつかれていることなのです。
マインドコントロールの類もみなそうです。
自分では、自分がマインドコントロールされているなどとは少しも思っていない。
気が付いていたら、マインドコントロールではないわけですから。
だから、マインドコントロールされている人間は、自分がマインドコントロールされている、という事実に早く気がつけば、マインドコントロールの状態から解放されることになるのです。
なにものにもとらわれず、あるがままに見、とらえることは難しい。
だから、こう考えたい。
なにものにもとらわれないでいることは、じつは存在しない。
第一、人間であるということ自体、すでに人間というものにとらわれていることなのですから。
いま、とても重要なことを私は言いました。
まさに、私が貴方に言いたいと思っていることこそ、このことです。
人間であるということ自体が、すでに人間というものにとらわれていること。人間とは思想なのです。
人間という思想なのです。
人間であるために、貴方は、人間という思想を与えられたのです。
だから、なにものにもとらわれない、などということは、じっさいありえない。
貴方も私もとらわれて生きているのです。
そのとらわれを意識するか、しないかこそが重要なことであるように思います。
さあ、じっくりと、貴方自身と、貴方の周りのものに目を向けましょう。