ルネサンスの思想家、ジョルダーノ・ブルーノは、人々がいかに迷信などにとらわれていて、本来の生き方をしていないかをいい、虚妄の社会から個人が解き放たれるべきことを説きました。
「真実主義」です。
人は真実によって、虚妄の現実から解き放たれ、真に生きるべき自分を生きる。
真に生きるべき自分とは、なんでしょう。
ルネサンスにおいては、それは、神に基づく生き方ということであるように思われます。
互いに対等なものどうしの間では、われわれは神に基づく真実の生き方をすることができない。
われわれは、互いに対等なものどうしの絆から解き放たれ、神に基づく生き方をしなくてはならない、という主張です。
これは、人間どうしの絆に対する明白な挑戦です。
ここにおいて、求められるべきは、互いに対等なものどうしの絆ではなく、神との一対一の関係を貫徹することです。
それは、神によって生きられることを至上の幸福と考える人たちにとっては、真実の生ということになるでしょう。
神の意義がルネサンス当時より大分希薄になった今日でも、この「真実主義」は力を持っています。
真実は永遠であり、誰もが真実に基づいて生きなければならない。
真実が歪められた社会は悪しき社会であり、それは必ず改められなければならない、というわけです。
しかし、われわれは本当に真実に重きを置いて生きているのでしょうか。
むろん、真実を生きることを否定するつもりは毛頭ありません。
大事なのは、なにが真実か、です。
そのところをよく見定めるべきです。
真実を唱える者が虚妄といっているものこそが、じつは真実であるかもしれないのです。
虚妄こそ真実という観点からすれば、神もまた虚妄だと言えるかもしれません。
神を信じている人間にとっては、とても心外な言い方になって申し訳ありません。
ここで虚妄とあえて言うのは、それがそこにあると、はっきり確かめられないもの、という意味においてです。
確かめられないが、自分の中で、確固として存在しているもの。それが、ここでいう虚妄の意味です。
偶像も虚妄です。それは作られたものだからです。真実を求めるなら、われわれは、人に対するいっさいの畏敬を放棄しなければなりません。
では、恋は。これこそ虚妄の最たるものでしょう。真実を求める人間は、恋をしてはいけませ。それは、貴方を真実から遠ざけることになるからです。
美は。美はさらに、虚妄そのものです。なぜなら、美が真実となるからです。
生きる意味すべてにおいて、われわれは虚妄を生きているのです。
真実は、そうした生きる意味をわれわれから奪うと、ただ一なる存在、すなわち、貴方を超えて貴方を生きる、貴方の自分であるものから生きられるのです。
その意味で、これまで真実主義として、社会の虚妄を暴くことで、個なる人間の解放を説いた人たちは、自身の生き方を真っ向から否定して自滅の道を取るか、あるいは中途半端な社会批判に留めることで、茶を濁してきたに過ぎなかったのではないか、と思われてなりません。
次の詩に託したいと思います。
「かくしてあなたは、
互いに対等なものどうしが捏造したからだから、あなたのからだであるものを解き放つことで、
ただ、あなたを超えてあなたのからだであるものを生きる、あなたのあらかじめなる血であるものから、あらかじめ息づかれることで、あなたの「真に強くあるもの」を生きられるのと引き換えに、
互いに対等なものどうしから、あらかじめ息づかれていた、あなたの「強くあるもの」を限りなく損ない、
互いに対等なものどうしが捏造した耳から、あなたの耳であるものを解き放つことで、
ただ、あなたを超えてあなたの耳であるものを生きる、あなたの高き胸であるものから、高く導かれ、育まれることで、あなたの「真に聡くあるもの」を生きられるのと引き換えに、
互いに対等なものどうしから、高く導かれ、育まれていた、あなたの「聡くあるもの」を限りなく損ない、
互いに対等なものどうしが捏造した脚から、あなたの脚であるものを解き放つことで、
ただ、あなたを超えてあなたの脚であるものを生きる、あなたの限られなき腕であるものから、限られなく創造され、在らされることで、あなたの「真にとらわれなくあるもの」を生きられるのと引き換えに、
互いに対等なものどうしから、限られなく創造され、在らされていた、あなたの「とらわれなくあるもの」を限りなく損ない、
互いに対等なものどうしが捏造した肩から、あなたの肩であるものを解き放つことで、
ただ、あなたを超えてあなたの肩であるものを生きる、あなたの深き内腑であるものから、深く満ち足らされることで、あなたの「真に豊かくあるもの」を生きられるのと引き換えに、
互いに対等なものどうしから、深く満ち足らされていた、あなたの「豊かくあるもの」を限りなく損ない、
互いに対等なものどうしが捏造した背から、あなたの背であるものを解き放つことで、
ただ、あなたを超えてあなたの背であるものを生きる、あなたの堅き皮膚であるものから、堅く庇われることで、あなたの「真に貴くあるもの」を生きられるのと引き換えに、
互いに対等なものどうしから、堅く庇われていた、あなたの「貴くあるもの」を限りなく損ない、
互いに対等なものどうしが捏造した肉身から、あなたの肉身であるものを解き放つことで、
ただ、あなたを超えてあなたの肉身であるものを生きる、あなたの一なる骨であるものから、一に支え持たれることで、あなたの「真に重くあるもの」を生きられるのと引き換えに、
互いに対等なものどうしから、一に支え持たれていた、あなたの「重くあるもの」を限りなく損ない、
互いに対等なものどうしが捏造した目から、あなたの目であるものを解き放つことで、
ただ、あなたを超えてあなたの目であるものを生きる、あなたのあまねき舌であるものから、あまねくおし拡げられ、味わわれることで、あなたの「真に広くあるもの」を生きられるのと引き換えに、
互いに対等なものどうしから、あまねくおし拡げられ、味わわれていた、あなたの「広くあるもの」を限りなく損なったのであった。」