貴方と、貴方の同胞についての神学 第二章 高きからだ | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

 あらかじめ生き合われる貴方と貴方の同胞であるものは、また互いをより高く導きはぐくみ合う、というのがこの章のテーマです。

 ここでまず取り上げたいのは、ニコラス・クザーヌスという中世ヨーロッパの末期に「反対の一致」ということを唱えた神学者です。

 「反対の一致」とは、神について理解しようとすればするほど、神はより遠ざかり、神について知らなければ知らないほど、神はより近づくという考え方です。どこか、ソクラテスの「無知の知」を連想させます。

 むろん、それは、神について努力がなされてのこと。

 神について理解しようとして、どうしても理解することができない。

 だけど、それは神について理解しようとしないで、やはり理解していない人間とはまったく違います。

 つまり、理解しようと努力することが大事なのです。

 その努力は神もまた見ている。

 そうして時折、神は、自身について理解しようと努力を続けているものに酬いる。

 だが、それはむろん完全なる理解ではない。

 神についての完全なる理解というのは、およそ不完全な人間には不可能なことです。

 すぐに神は理解できないものになって、はるかに遠ざかってしまう。

 それでも努力を怠らず、神について理解しようとし続けることを通して、神は、その人間を少しずつ神の高みへと引き上げる。

 それは螺旋階段を上ってゆくようなイメージです。

 神に近づいたと思ったら、また遠ざかり、遠ざかっていると思っていたら、以前よりもより近づいている。

 でも全体としては、神についてより高いところまでに引き上げられている。


 これは人間関係についても言えることなのではないでしょうか。

 貴方自身について分かっていたと思っていたら、分かっていなかった。

 でも分かっていなかったということは、一つの進歩です。

 それはより分かっているということなのですから。
 貴方の隣人についてもまた、理解していると思っていたら、理解していなかった。

 しかしそれはさらなる理解に進んでいることなのです。

 そうして、再び分かるときが来る。

 むろん、また分からなくなる。

 でもそれは以前の理解度より、少しだけ深まっている。

 そうして、貴方は、貴方自身と、貴方の隣人について少しずつ理解してゆく。

 あたかも山を登攀するように。

 それは神を理解しようとするのと同じだけ、不可能なことなのかもしれない。

 しかし理解しようと努力をつづけるかぎり、貴方が理解しようとする貴方自身と、貴方の隣人は、貴方に報いるのです。

 そこで貴方は、気づく。

 貴方が、貴方自身を、また貴方の隣人を理解しようとすることは、じつは、貴方自身から、また貴方の隣人からより高くあるものに引き上げられることである、と。

 貴方自身、また貴方の隣人は、貴方をより高くあるものに導き、育む、貴方の導き主です。

 貴方が、貴方自身、また貴方の隣人を理解しようと努めるとき、貴方自身、また貴方の隣人は、貴方をより高くあるものに引き上げるのです。

 同じように、貴方の隣人についても、貴方は、貴方を理解しようと努める貴方の隣人を、より高くあるものに引き上げてくれているのです。


 これを、詩に表すと、このようになります。


ときに、あなた自身と、あなたの隣人から、あらかじめ息づかれなくなることを通して、

あなたは、あなた自身と、あなたの隣人から、あなたのより「強くあるもの」にあらかじめ息づかれ、

ときに、同胞自身と、あなたから、あらかじめ息づかれなくなることを通して、

あなたの同胞もまた、同胞自身と、あなたから、同胞のより「強くあるもの」にあらかじめ息づかれ、

ときに互いから、あらかじめ息づかれなくなることを通して、

あなたとあなたの同胞とは、互いから、互いのより「強くあるもの」にあらかじめ息づかれ合い、


また、ときに、あなた自身と、あなたの隣人から、高く育まれなくなることを通して、

あなたは、あなた自身と、あなたの隣人から、あなたのより「聡くあるもの」に高く育まれ、

ときに、同胞自身と、あなたから、高く育まれなくなることを通して、

あなたの同胞もまた、同胞自身と、あなたから、同胞のより「聡くあるもの」に高く育まれ、

ときに互いから、高く育まれなくなることを通して、

あなたとあなたの同胞とは、互いから、互いのより「聡くあるもの」に高く育まれ合い、



また、ときに、あなた自身と、あなたの隣人から、限られなく在らされなくなることを通して、

あなたは、あなた自身と、あなたの隣人から、あなたのより「限られなくあるもの」に限られなく在らされ、

ときに、同胞自身と、あなたから、限られなく在らされなくなることを通して、

あなたの同胞もまた、同胞のより「限られなくあるもの」に限られなく在らされ、

ときに互いから、限られなく在らされなくなることを通して、

あなたとあなたの同胞とは、互いから、互いのより「限られなくあるもの」に限られなく在らされ合い、



また、ときに、あなた自身と、あなたの隣人から、深く満ち足らされなくなることを通して、

あなたは、あなた自身と、あなたの隣人から、あなたのより「豊かくあるもの」に深く満ち足らされ、

ときに、同胞自身と、あなたから、深く満ち足らされなくなることを通して、

あなたの同胞もまた、同胞自身と、あなたから、同胞のより「豊かくあるもの」に深く満ち足らされ、

ときに互いから、深く満ち足らされなくなることを通して、

あなたとあなたの同胞とは、互いから、互いのより「豊かくあるもの」に深く満ち足らされ合い、



また、ときに、あなた自身と、あなたの隣人から、堅く庇われなくなることを通して、

あなたは、あなた自身と、あなたの隣人から、あなたのより「貴くあるもの」に堅く庇われ、

ときに、同胞自身と、あなたから、堅く庇われなくなることを通して、

あなたの同胞もまた、同胞自身と、あなたから、同胞のより「貴くあるもの」に堅く庇われ、

ときに互いから、堅く庇われなくなることを通して、

あなたとあなたの同胞とは、互いから、互いのより「貴くあるもの」に堅く庇われ合い、



また、ときに、あなた自身と、あなたの隣人から、一に支え持たれなくなることを通して、

あなたは、あなた自身と、あなたの隣人から、あなたのより「重くあるもの」に一に支え持たれ、

ときに、同胞自身と、あなたから、一に支え持たれなくなることを通して、

あなたの同胞もまた、同胞自身と、あなたから、同胞のより「重くあるもの」に一に支え持たれ、

ときに互いから、一に支え持たれなくなることを通して、

あなたとあなたの同胞とは、互いから、互いのより「重くあるもの」に一に支え持たれ合い、



また、ときに、あなた自身と、あなたの隣人から、あまねく拡げられなくなることを通して、

あなたは、あなた自身と、あなたの隣人から、あなたのより「広くあるもの」にあまねく拡げられ、

ときに、同胞自身と、あなたから、あまねく拡げられなくなることを通して、

あなたの同胞もまた、同胞自身と、あなたから、同胞のより「広くあるもの」にあまねく拡げられ、

ときに互いから、あまねく拡げられなくなることを通して、

あなたとあなたの同胞とは、互いから、互いのより「広くあるもの」にあまねく拡げられ合うのである。