地元にある、知る人ぞ知る Zガンダム
身長7m
地元の方による個人制作作品で
お台場のガンダムより10年くらい早く完成されていて
実際にコックピットにも乗れるらしい
凄まじい時間と労力だったのだろうと思う
このように普通はやろうとも思わない、
非凡な作品を目にすると 心から惚れ惚れする
世界に目を向けると
非凡というか
ある意味馬鹿げているくらいのような
狂気とも呼べる作品はある
ピラミッドや万里の長城などもそうだし、
ガウディのサグラダ・ファミリアなど
制作に何百年も費やすものもある
時々触れてきた ワーグナーの「ニーベルングの指環」もそう
製作者が 完成した作品を観られないという狂気
ガウディは交通事故で亡くなったそうだが
サグラダ・ファミリアは現在も建設中
なんでもガウディの作品は一般的に建築される建造物と異なり、
設計図に詳細な寸法などが明記するのが不可能らしく、
ガウディがデザインした模型を元に
比率などを計算しながら建造中という事らしい
ガウディが建造にこれだけ時間が掛かると想像したかは分からないが
ガウディだけでなく 発注者やスポンサー 建設会社に現場作業員
生きているうちに完成したサグラダ・ファミリアを見れないのに
携わった人々の時間と労力は凄まじい
ワーグナーの「ニーベルングの指環」も
前夜を含めた四部構成になっている楽劇はあまりに長く壮大で
全作品を通して演奏されるのは不可能に近く、
ワーグナー自身 完成したニーベルングを通して観てはいないだろう
このように
完成図を観る事のないライフワークは
ある意味馬鹿げているような、狂気とも呼べる作品だと感じる
例えば
映画の主役俳優にしろ助演俳優にしろ
完成したら絶対試写会までには全部自分の出演作は観るはず
監督だって演出だって技術スタッフにしたって
観ないなんて事はないと思う
観るだけなら楽しむだけだし
気に入らない人は簡単に酷評するだろうが
演技するのが、演出するのがどれだけ大変か
長ければ何年も前からトレーニングしていたりもする
それだけの時間と労力を費やしておいて
完成を観れないなんて
ガウディにしたってワーグナーにしたって
狂気の沙汰に思えてくる
私も世に楽曲を出すようになって十年になるが
作詞作曲は中学時代から始めて現在も作っている
いわば地道な積み重ねあっての今だが
ワーグナーの凄まじい執念とも言える作品には
到底 想像を絶する時間と労力を感じる
私なんて 1曲長くても4分くらいの規模だが
それでも相当な時間と労力を費やすものだった
その完成品を聴けないなんて
想像もしたくない
私は ガンダムはちゃんと観た事がなく
今でも続いている新作なども殆ど知らない
正直 Zガンダムと言われてもダブルZと言われても
ユニコーンとかハサウェイとかuがいっぱいついてるのとか
ちんぷんかんぷん
アムロとシャアくらいは知ってる程度
でも これだけ世紀をまたいで続くシリーズも
携わった人々の事を思うと
凄まじい執念を感じるし
熱中する人々の熱量も凄いと思う
歳を取ってみないと分からない事にも気づく日々
最近は 生きているだけで偉い
とか言う人もいる世の中になったものの
二十代の頃感じていた20年と
その後の20年
更に10年くらい重ね
歳を取れば身も心も衰えてくるのを知るが
20年生き続けるのは大変な事で
それを何度も積み重ねるという事は
どんどんしんどくなる上に生き続けるという事
80年生きてれば80年生きる事を続けてきた訳だし
90年生きてれば90年続けてきた訳だ
衰えてもなお それは続けてきた訳で
そういう人々こそ
生きているだけで偉いと思う
老害ってすぐ言われる世の中になり
古い事は悪い事みたいな風潮だが
生きている以上 存在意義があるもの
若者の邪魔をしてはいけないものの
老いたからといって 死にたい人はいないと思う
新しいから正しいという世間の媚び
リベラルと言う嘘に紛れた立ち位置の誤魔化し
元来 右だろうが左だろうが
本人の意志は真ん中の保守
自分にとって保守なのだ
ASD で精神障害である私は立場的に
リベラルな世の中であるのを望むが
私にとってはそれが保守であるだけで
右も左もない
いつから古いものは悪く
新しいものは正しいとなったのか
新しくても万人に良いという事にはならないし
そもそも誰が正しいと決めるのか
新しくても 間違ってしまう事はある
普遍的なテーマとも言える新しさについて
民主主義が招く結果に万人にとって最善の策はない
私などはきっとその最善から排除されてしまうであろう人間だが
権力者たちの狂気に振り回されるのは御免である
民意もある意味では狂気
私にとっての狂気が 正義にならない事だけは願う
