
こんばんは
先日久々に床屋に行きました
ヘアカラーをここ何年かしてたのですが
染めるのをやめてみました
気候の変動で 睡眠周期がまた不安定に
暖かくしてから寝ようと
お風呂に入っていると
何故か突然 以前読んだ《雨穴》の小説の
「変な絵」に出てくる怖い絵がフラッシュバック
読んだ時は そんなに怖いとは思わなかったのに
急に一人で風呂に居るのが怖くなってしまいました
シーンとした部屋
ベランダから誰かが覗いているような、
突如 ドアノブを凄い勢いでガチャガチャされそうな、
壁をもの凄い強さでドンドンドンドン叩かれそうな
こうなると もう眠りに就けません
眠れたのは今朝の10時頃です
夕方に目が覚めました、
私、Emisia Park Leader です
音楽一人旅
前回までは 6話に渡って
現代邦人作曲家の作品を聴いてきました
第6話で 吉松 隆 の作品を聴いて感動し
「複雑化は進歩なのか?」という問いが聴こえてきた気がしました
現代音楽の無調、難解、抽象的などといった方向性は
音楽を より複雑化した とも言えると思います
複雑化し、難解になれば 理解するのに壁が高くなり
その反動というものが起きるのかもしれません
吉松 隆 の音楽はそれに関する
邦人作曲家の一つの回答かもしれません
やはり 西洋音楽の中でも
その高い壁に対して閉塞感を感じたり
異を唱える作曲家が現れていました
今回聴いたのは
↑の写真の「アルヴォ・ペルト」という
エストニア出身の作曲家の作品です

↑のCDに収録されている曲は
代表作から
・フラトレス 《Fratres》 (1977)
・カントゥスーベンジャミン・ブリテンの思い出に (1977)
・タブラ・ラサ 《Tabula rasa》 (1977)
です
「フラトレス」は 後に様々な楽器に合わせて編曲されますが
編曲前の一番最初のオリジナルバージョンは
古楽器による↑の演奏です
低音弦の持続音と フレーズ終了時だけ鳴らす打楽器の上で
教会音楽風の明快な調性のある旋律を 終始インテンポで
各少人数の楽器群 (おそらく殆どがトリオだと思われます)で
リレーしていく という、非常に簡素な作品です
全楽器によるトゥッティはありません
これが弦楽器のみや 管楽器のみ 打楽器のみ
ソロの弦楽器とピアノによるバージョンなど
今世紀に至っても 編曲は続きましたが
やっているのは 基本的に 「反復」です
音高や音量、音数などが増えたり減ったりしますが
基本的に同じフレーズを繰り返しています
変奏というより音色や音数の変化による反復とも言えます
複雑化した現代音楽に対する反動 と言うべきか
それとは逆の、簡素化された方向へと向かう音楽だと思います
ロックでも少し似た潮流がありました
プログレッシブ・ロック、アート・ロックなどの
複雑化し 巨大化していったロックに対する反動として
「音楽は理屈じゃない!スリーコードで十分だ!」
という感じで パンク・ロックがニューヨークで生まれ、
ロンドンで花開きました
アメリカで ミニマル・ミュージックが生まれたのが
1960年代~70年代だと云われているようですが
それについては次回以降で触れる予定です
アルヴォ・ペルトも ほぼ同年代の頃から
この簡素化された流れの作品を書いていったようですが
それ以前は 複雑化された方向の現代音楽を書いていたようです
それに対して行き詰まりの作曲活動休止の数年間があったそうで
やはり「現代音楽の簡素化」というのは
現代音楽の生みの苦しみから解き放たれる、
新しい可能性の一つだったのかもしれません
「タブラ・ラサ」
「Ludus(遊戯)」、「Silentium(静寂)」による2楽章構成になっている
アルヴォ・ペルトの代表作の一つです
この作品では やはり 明快な調性のある反復が用いられていますが
「Ludus 遊戯」は 動きのある、音数や音高、音量の変動があるフレーズに
突然音数が減った、テンポを落とした静けさのある末尾が付いて、
静寂の中へ消えてゆき、沈黙へ至る
という一連の流れが繰り返され
それが 徐々に響きも音量も激しさを増していく
ドラマティックな構成です
「Silentium 静寂」は テンポをさらに落とし
まるで静止したかのような同じ運動の楽器群の上を
二人のヴァイオリンが息の長い旋律と反復する旋律を繰り返し
ピアノがフレーズの始まりの同じ音を鳴らす事で加わります
激しさを増していく第1楽章とは逆で
進行と共に音は減ってゆき最後は静寂と沈黙の中へ消えて行きます
Tabula rasa とは ラテン語で
「白紙」や「磨かれた板(何も書かれていない状態)」を意味するそうです
それまでの前衛音楽の複雑なルールを洗い流し、
静寂と白紙の状態から音楽作り直す という意志を込めて
このタイトルは付けられたそうです
純粋な響きに耳を澄ませ
ありのままに受け取る作品だと思いました
「鏡の中の鏡《Spiegel im Spiegel 》」(1978)
文字通り「合わせ鏡」の中に無限に続く世界だそうです
オリジナルはヴァイオリンとピアノのために作られたそうです
↑の音源
後にチェロやヴィオラ、フルートなど
やはり様々な楽器に編曲されているようです
ピアノはずっとインテンポのまま
三和音によるアルペジオを刻みます
和声進行はほぼ同じ
ヴァイオリンは息の長い旋律を
中心音から緩やかな階段のように登り降りし
また戻る という動きを繰り返します
反復による瞑想のような空間を作りだし、
ある種のヒーリングミュージックとも思えます
さて、簡素化とは すなわち ミニマリズムです
現在では 生活スタイルとしても
必要最小限のもので生活するという
ミニマリストという人々がいます
アートの世界でも やはり
装飾を極限まで削ぎ落とした
ミニマル・アートという分野があります
アルヴォ・ペルトの場合も
ミニマル・ミュージックだとも分類されるそうですが
スティーブ・ライヒのような
アメリカで生まれたミニマル・ミュージック
後の話で触れますが
フィリップ・グラスなどもそうですね
反復による並列的な位相のズレや
直列的に加減される音の変化と言った音楽とは
別の経緯から生まれた様式のようです
《Tintinnabuli 》という独自の作曲様式だそうで
ラテン語で「小さな鈴」
教会の鐘の響きにインスパイアされたのだとか
反復の変化を聴かせるというよりも
「音楽は沈黙から生まれ、沈黙へ還る」という
根本的な音の在り方を捉えたのではないか?
と思われます
結果的に現代音楽では
ミニマル・ミュージックの部類としても
アルヴォ・ペルトは評価されているそうですが
さて、このように
ミニマリズムとしての音楽の一つの道筋が現れます
先述のように
ミニマル・ミュージックはアメリカで生まれたようですが
そこで再びアメリカの音楽としての作曲家の作品へ進みます
ミニマリズムから現代クラシック音楽へ
どういう感覚が入り込んだのか?
「ジョン・アダムズ」
に次回は旅をする予定です
ヘアカラーをやめてみて
自分の見た目での老いを感じます
でも 結構気に入ってて
前回までのカラーが完全に落ちたら
グレーの髪の自分を鏡で見れるようになれます
それはそれで自然の私
私にとってはもう こだわりのない要素です
元よりミュージシャンとして人前に出る
という状況はとうに無くなったのですし
ルックスについては私は特にどうでも良い人間です
人にどう見られてるのかは
私にとっては節約し、削ぎ落とす要素
関係ありません
では今回はこの辺で
最後までお目通しいただきありがとうございました!