おはようございます(^^)
今日は昨日の続きから、、、

母が亡くなった事を知ってから初めての夜のことを。

母と父は二人とも四国の出身だったのですが、就職を機に横浜市に住むようになり、わたしは生まれも育ちも横浜でした。
(海の方ではなく、海の見えない横浜です)

なので親戚はほとんど四国にいるのですが、母が亡くなった事を父が知らせたため続々と我が家に親戚が集まってきました。

母は兄、姉、弟がいたのでわりと親戚も多くて、何だか家がザワザワするくらいでした。
うちはその頃3DKのアパートに住んでいたのですが親戚や近所の人が沢山入れ替わり、やって来ました。(弔問というやつですね)

夜は母の姉が泊まってくれて「夜中、お線香を絶やしてはいけない」と言って寝ずの番をしてくれました。
わたしがいつも父と母と寝ていた部屋は母の棺がある部屋になっていたのでその日はリビングで寝る事に。
寝付けないなぁと思っていた瞬間目に飛び込んで来たのは部屋干ししていた洗濯物

いつ干したものかわかりませんが、多分母が干してそのままだったもの。
(母が亡くなった日は曇りと少しの雨の日でした)

ぶら下がっている洗濯物の中に母が私に縫ってくれたチューリップ柄のパジャマがあり、それを見てそれまで人がいて泣くのを我慢していた気持ちが抑えられなくなり号泣しました。


「もうこれを作ってくれるママはいなくなっちゃったんだ」
「このパジャマが破けたら二度と同じものは作ってもらえないんだ」
「わたしは大きくなるのに小さいパジャマのままなんだ」

って悲しくなりました。

この「ママが作ってくれたものは二度と手に入らない」というところが私には堪え難く、その日からそのパジャマを始め、お手製のワンピースや手提げ袋など全部使う事をが出来なくなりました。
少しでも汚れたり破れたりしたらどうしようと思って、大切に取っておこうと決めました。

35歳になった今でも実家には母の手作りのものをしまった段ボールを取ってあります。
けれどもそれを目にすることは辛すぎて今でも開けたことはないです。
多分開けたら、涙がとまりません。

手作りの服もそうですが、母は家庭的な人で手作りの梅干しを漬けていました。
私はその梅干しが大好きで、酸っぱさ、塩っぱさがとても丁度良かったのです。

母が亡くなった時、梅干しの瓶は2本あったと思うのですが、その梅干しにも手が付けられなくなりました。
「コレ食べ尽くしてしまったらもう母の味は食べられないんだ。。」
って。

大人になってもあの母の梅干しを超えるものには出会えてないです。

わたしが作れれば良いんですけどね^ - ^
なかなか近づきません。。

次は葬儀のことを書いていきます!

今日も母を亡くした子どもの皆さんが少しでも笑顔で過ごせますように。