こんばんはEmi(えみ)です。


以前、このブログで、米国精神医学会が定めるGIDの診断基準DSM-Ⅳ-TR と、私の子供時代のエピソードとを重ね合わせてみましたが、今度は私が成人してからはどうであったのか、振り返って検証してみたいと思います。


DSM-Ⅳの改訂版です。



A.反対の性に対する強く持続的な同一感がある

→著しく強い持続的な同一感があります。

20歳になれば年金手帳を、就職すると被保険者(本人)としての健康保険証を受け取りますが、そこには、”性別”というものが記載されていますよね。

本当に見るのも嫌になります。

また職場内においては、「お金を貰うための手段として男装し、トイレについても止むなく男トイレを(男女共用トイレだと思って)使用せざるを得ない。(もちろん個室しか使用せん。)」と割り切っているに過ぎません。


2. 成人および青年の場合
その障害は、次のような症状で現れる。

(1) 反対の性になりたいという欲求を口にする。

→その通りです。

家族で食事やテレビを見ながら、
また職場や友人などとの飲み会の席で、
「もし、生まれ変わるとしたならば、男と女どちらの性別で生まれ変わりたいか。」
という話題になった時は、

私は迷わず
「女で!」
答えています。


表向きでは、現世とは異なる生き方をしてみたいと思っている人たちの一人と思われているようですが、(家族以外の人たちからは)GID予備軍とは思われてはいないようです。


(2) 何度も反対の性として通用する。

その通りです。

やはり私もレディースものを身に付けてみたいという欲求がありました。

まずは高校生の時に、同年代の女子が身に付けているようなショーツから始めて、成人して一人暮らしを始めてからは、ブラ、キャミ、パンスト、ナプキン、おりものシートといったものも試してみました。

レディースものを身に付けても性的には全く興奮しないどころか、むしろ安堵の気持ちでした。

本来であれば、思春期の年齢に達するまでに母親と一緒に買いに行ったり、母親に買ってもらえるアイテムですからね。


(3) 反対の性として生きたい、扱われたいという欲求がある。

→その通りです。

思春期の頃からの気持ちは、彼女ができて付き合うことよりも、素敵な彼氏ができて本命チョコ、その彼氏と結婚ウエディングドレス結婚指輪ウエディングケーキして、子供男の子女の子にも恵まれたいという思いのほうが強かったですね。


(4) 反対の性に典型的な気持ちや反応を、自分が持っているという確信がある。

→その通りです。

家族からも、
「本当は○○子ちゃんとして生まれてくればよかったね。」
とか、

「○○○は男でないみたい。」
などとも言われた位でしたので、

自分は女として生まれ育って、社会でも一人の女性として扱われたいという確信があります。



B.自分の性に対する持続的な不快感、または、その性の役割についての不適切感がある

身体についての不快感ですが、

そもそも、あそこの形が、”まりもっこり”と同じであることが気持ち悪すぎます。もし、取り外しが可能な飾りであったならば、もう既に取り外してしまったうえで、モノ自体も欲しいと思っている人がいれば喜んであげていますし、貰い手が誰もいなければ気持ち悪いので、とっくに捨ててしまっています。

もし、本当に可能であるのならば、FtMさんと内性器、外性器、乳房のセットと物々交換したいものです。


役割についての不適切感ですが、

男は、とにかく死ぬまで仕事一筋とか、(私の過去の職場において、過労死してもおかしくないレベルまで働いた挙げ句、体調を崩して休職や退職した社員を実際に目の当たりにしました。)
酒の席では、上司や先輩からベロベロになるまで飲まされた上で、公序良俗スレスレの宴会芸ができてこそ、一人前の男として評価されるような、昭和の体育会系のノリに合わせていかなければならない点が、たまらなく嫌でしたね。

不適切感があって、当然です。


2. 成人および青年の場合
その障害は、次のような症状で現れる。

(1) 第1次性徴および第2次性徴から開放されたいという考えにとらわれる。そのため、反対の性らしくなる手段として、性的な特徴を身体的に変化させるホルモン療法や外科手術、または他の方法を要求する。

過去の話でも触れましたが、胸、腕、脛に生える体毛や、中高年になると高い確率で禿になる事、どれからも開放されたいです。

ゴリラやチンパンジーですか?と思いたくなる位、自分にとっても気持ち悪いです。

このハゲ~(になるかもしれない遺伝子)
違うだろ~!!
とも、思ってしまいます。

ホルモン療法や外科手術については、しないよりかは、したほうが気持ち的にも落ち着くかもしれませんが、受けたからといって、純女の女性と同様の骨格や肩幅、そして何よりも女性としての生殖能力まで得ることが、現在の医療技術では不可能であるという点に躊躇しているところであります。

それ以上に、赤いランドセルを背負った姿の少女時代の写真や、スカートの制服姿での卒業アルバムの写真が無いといった、過去の別な場面でも悩まされることのほうが大きいのではないかとも思っております。


(2)自分が誤った性に生まれたと信じる。

→その通りです。

この点については過去の話でも触れましたが、これから思春期が始まる時期に、学校で生理についての授業が始まろうとしていたところで強制退室を命ぜられ、さらにはナプキンの試供品が渡されなかった時の出来事がトドメであると思います。

多数派の男性からは「生理が無い身体でよかった」とか、女性からも「生理のない男性が羨ましい」などとも言われている生理ではありますが、

私は、妊娠が可能な身体を維持するための、毎月決まった周期で起こる子宮からの正常な出血(古くなった子宮内膜を体外へ排出すること)として、女の子だけに与えられた役割であると受け止めていけるだけの自信があります。

また、ナプキンに関する暗黙のルールやマナーでもありますが、つける時や剥がす時に、ベリベリ音を出さないとか、捨てる時は、赤いモノが完全に隠れるようにナプキンの包み紙のテープでしっかりと止めたり、トイレットペーパーを使って綺麗に丸めてからサニタリーボックスへ捨てるといった、女子ならではの細かい気配りができるようにもなりたいですね。


そもそも、男の身体として出来上がってしまったことが間違いなのですから、本人がそうでありたいという性別として、誰もが生きていける世界が現実のものになってほしいです。



最後まで読んで頂きまして、
ありがとうございました。